
「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」
と、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長は言ったのだそうですよ奥さん(こちら)。
なるほど。懸念していた通りの展開だ。
五輪が政治利用され、国歌が制度利用され、代表選手が兵役利用されている。
舞台は、リオデジャネイロのオリンピックに出場する日本代表選手団の、結団式と壮行会が行われた、代々木競技場だった。
「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」
と、森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊・松永美智子陸士長による国歌独唱時の様子を振り返って、選手団に問いかけ、サッカー女子ワールドカップでは澤穂希さん、ラグビーのワールドカップでは五郎丸歩選手が君が代を歌い、その様子を見て国民が感動した、と述べた。
そして、
「表彰台に立ったら、口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、国歌を歌ってください」
と選手に呼びかけた。
……そのように、記事は伝えている。
注意深く読んだ読者が既にお気づきになっている通り、松永陸士長は、国歌を「独唱」している。ということは、ここで歌われた国歌は、選手たちに「斉唱」を求める設定ではなかったのであって、とすると、森元首相の五輪選手団への叱責は、お門違いであり、見当違いであり、筋違いであり、料簡違いであり、考え違いであり、間違いであり、■違い(自由に埋めて下さい)だったことになる。
まったくもってバカな話だ。
問題は、森元首相が対応を誤ったことだけではない。
本来なら五輪代表選手に活躍をお願いする立場の人間であるはずの森氏が、何をどう勘違いしたものなのか、上から苦言を呈する構えで、300人の選手に説教を垂れたその根性が、あらゆる意味でどうかしている。そこが第一の問題だ。
代表選手は、一人一人、それぞれ、個人として、また独立したアスリートとしての目標と夢を持っている。
私たち一般国民は、その彼ら彼女らのあくまでも個人的な努力と奮発の結果に便乗して、一瞬の興奮と娯楽を追体験させてもらう物乞いに過ぎない。当然、われわれは選手に命令する権利を持っていないし、注文をつけたり結果次第で断罪したり苦情を申し述べたりする資格を有しているはずもない。五輪組織委員長とて同じことだ。いや、組織委員長であれば、なおのこと選手には公平な姿勢で対処せねばならないはずだ。なんとなれば、五輪の成否の大きな部分が選手の活躍に負うものである以上、組織委員長は選手にお願いをする立場の人間だからだ。
さてしかし、森元首相の勘違いに鉄槌を下し、その軽挙をたしなめる主旨で書かれている私のこのテキストは、おそらく、国民的な共感を呼ばない。
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