これはいかにも極端な例だが、監督の性格がどんなに温順で、協会のトップの組織運営がどれほど柔軟であっても、同じ人々が長きにわたって指導的な立場を占めていると、われわれの国の組織は必ずや日大アメフト部化することになっている。この傾向に例外はない。日本相撲協会も芥川賞選考委員会も経団連も経済同友会も、日本の主だったムラ社会チームはどれもこれも決して言語化されない相互忖度ガバナンスのもと、コックリさんみたいな意思決定でメンバーにタコ踊りを強いている。
だからこそ、多少チーム内の空気がギクシャクしても、スポンサーの機嫌を損ねることがあっても、代表チームにはぜひ外国人の指導者を迎えなければならないと、私は以前から口を酸っぱくして同じ言葉を繰り返している次第なのだ。
外国人が監督なら、監督はスポンサーの意向を忖度しないし、コーチは放送局の要望するスタメンに配慮しないし、記者は記者で遠慮なく思うところを記事に書くし、選手も疑問点は言葉にして質問するマナーを身体化するようになる。
そうやって、あらゆる意図や反発や感情や戦術的迷妄をいちいち言語化していたら、なるほどチーム内には議論が絶えないだろうし、時には意見の合わない者同士が感情的に反発する事態も起こるだろう。
が、サッカーというのは、1人ひとりの選手や監督や記者やファンがそうやってアタマの中にあるもやもやしたあれこれを言葉にして外に出すことで前に進んでいく競技なのだと私は思っている。
常連がとぐろを巻いているスナックは、なるほど常連客にとっては居心地の良い空間だ。
「いつもの」
と言えば、それだけで、ちょうど良い濃さの水割りが出てくる。
気心のわからないよそ者も入ってこない。
そういう意味で、インナーサークルの人間にとって、これほど心やすらぐ場所はほかにないのだろう。
しかし、代表チームをそういう場所にしてはいけない。
「日本人らしさ」
などという、お互いがお互いにもたれかかったような関係でチームを構築したらチームの中から言葉が失われてしまう。
長くなってしまった。
私が日本代表に外国人監督を求めるのは、チームに「外部」が必要だと考えるからだ。
その意味で、日本代表がジャパニーズオンリーに落ち着きそうな現状には憂慮の念を抱いている。
オールジャパンにもあんまり賛成したくない。
オールモストジャパンくらいでちょうど良いのではなかろうか。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
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<< 目次>>
告白
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二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
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