が、ともあれ、与党勢力が3分の2に迫る議席を独占している現今の状況では、与野党の間で決定的に意見が対立している議案については、結局のところ、ある段階で議論を打ち切って多数派による強制的な議決に委ねる結末を迎えざるを得ない。ということはつまり、与野党双方による真摯な議論が最も切実に求められる重要法案であればあるほど、かえって審議過程を省略ないしは軽視した強行採決が行われがちになるわけで、つまるところ、さかのぼって考えれば、わたくしども選挙民が、こんな一党独裁の全体主義国家みたいな議席配分を許した時点で、一党独裁の全体主義国家じみた国会運営はすでに始まっていたのである。

 ギャンブル依存症は、アルコール依存症に比べてあまり知られていない。
 認知度が低いだけではない。理解度はもっと低いと思う。

 個人的な感触では
 「自業自得だろ?」
 「自己責任じゃね?」
 「つまりアレか? その病気の患者はギャンブルで勝つのは自分の手柄だと思う一方で、ギャンブルで負けるのは病気のせいだみたいな考え方を採用してる人たちなわけか?」
 「要するに我慢が足りないってことだろ?」
 「なんでもかんでも依存症のせいにできるんだったら、責任という言葉は不要になるだろうな」
 てな調子で笑い飛ばしている人が多数派なのではなかろうかと思っている。

 私自身、つい最近までは、自分がギャンブルであまり勝った経験を持たないからなのか、それに依存する人たちがいるということをいまひとつイメージできなかった。

 ただ、この5年ほどの間に、アルコール依存症とギャンブル依存症の患者や家族の団体が共同で主催するイベントに何度か協力させていただく中で、ギャンブル依存症の関係者と情報交換をする機会を得た。この経験を通じて、私の認識は大いにあらためられた。

 アルコールもギャンブルも、最終的には、それに依存する人間が持っているほとんどすべての要素を破壊することになるものだ。が、その順序とプロセスには多少の違いがある。

 一般に、アルコールは、まずなによりもそれに依存する人間の健康を蝕む。対して、ギャンブルは必ずしも患者の肉体には害を為さない。ということは、ギャンブル依存の方が症状としてより「マシ」なのかというと、これもまた、必ずしもそういうことではない。

 たとえば、経済生活を破綻させる傾向は、アルコール依存症患者の場合に比べて、ギャンブル依存症患者のケースのほうがより早い段階で表面化する。というのも、どんな大酒飲みであっても、一晩で10万円分の酒を飲むことは不可能(店や酒の種類にもよるが、アル中は何を置いてもアルコール度数のコスパを重視するので)だが、ちょっとしたギャンブル依存者なら、一晩で100万や200万の現金を溶かすことは珍しくもないことだからだ。

 すなわち、ギャンブル依存症患者は、肝機能障害を患ったり大腿骨骨頭壊死に苦しめられることが少ない代わりに、多重債務に陥ったり家財をまるごと失うリスクを常にかかえている。

 結果として、ギャンブル依存症患者がもたらす悲劇は、家族や親戚を巻き込むことが多い。犯罪に結びつくことさえある。これは、実に深刻な話なのだ。

 詳しくは、以下のリンク先にある、「カジノ法案成立で最も損をするのは誰か?」という記事を読んでみてほしい(こちら)。

 この記事を書いた「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さんには、何度か直接にお話をうかがったことがある。