6月20日の深夜(というか、未明ですね)、私は、この話題に便乗して、以下のようなツイートを書き込んだ。

《「音楽に政治を持ち込むな」と主張している人たちは、あらゆる人間の営為(恋愛、友情、祈り、嘆き、感謝、生活、歓喜、憎悪、怒り、皮肉、政治、旅などなど)を包摂する芸術である音楽から、特定の要素だけを排除できると考えている点でアタマがおかしいと思うんだが。》(こちら

 このツイートは、論争の真っ最中だったこともあって、2500以上のRT(リツィート、転載)と、1900件以上の「いいね」を獲得した。

 が、本人としては、このツイートの中で言ったことは、なるほど正論だとは思うものの、あまりにも正論過ぎてちょっとうさんくさかったのではないかと思い始めている。

 というのも「音楽と政治」の問題は、こういうふうにあざやかに一刀両断してしまえるお話ではなくて、時代性や、それを語る人間の年齢や、その時々の政治状況によって、さまざまに揺れ動き得る、もっと微妙で曖昧模糊とした問題であるはずだからだ。

 「音楽」や「政治」のようなデカい主語は、どうにでも解釈できる懐の深さを備えている一方で、あらゆる断言を許してしまう脇の甘さを隠し持っている。であるから、このあたりの言葉を振り回す人たちは、言葉の周辺にある概念や正義を、自分にとって有利な方向に誘導するべく、党派的な議論を展開しがちだったりする。そこのところに注意しなければならない。

「音楽に政治を持ち込むなよ」

 というこのいささか乱暴なフレーズを見て、私自身は、何よりもまず直感的な反発を抱いた。

 私たちの世代の者にとって、音楽と政治は、水と魚がそうであるように、あるいは寿司と寿司飯がそうであるように、不可分であり表裏一体であり不即不離であり梵我一如な、ひとつのセットであったからだ。

 ところが、若い世代には、そう考えない男女が、相当数含まれている。
 私にとって驚きだったのは、かなり数多くの人々が、「音楽に政治を持ち込むな」というこのスローガンに、単純な共感を寄せていたことだ。

 なるほど。
 音楽は、もはや若い世代にとっての主導的な教条であることをやめているのであろうな。
 落ち着いて考えてみれば、その方が人のあり方としては健康なのかもしれない。

 音楽は、あらゆる表現活動がそうであるように、時に応じて政治的な要素を含み得るものだ。
 人間が人間である限り、人間が創る創作物が複数の人間の営みに関わる活動である政治と全く無縁であることはあり得ない。

 とはいえ、音楽が政治的である局面に忌避感を抱く人々が現れることもまた必然だ。
 音楽は、ほかのすべての表現活動がそうであるように、一面においては娯楽に過ぎない。

 とすれば、娯楽として消費するつもりでいる商品から政治的な意図が立ち上ってくることを嫌う消費者が現れることは覚悟せねばならない。

 この20行ほどのテキストを読んで、何を言いたいのかよくわからないと思っている人がいるはずだ。

 私がお伝えしたいと思っているのは、私自身が「どうせ伝わらないだろう」と強く思っていることでもある。