7月の都議選が終わったら、結果がどちらに転ぶのであれ、いずれにせよ五輪に向かう体制は、ある程度はっきりするはずで、だとすると、そこから先、五輪の話題は、「議論」や「選択」や「説明責任」の問題ではなく、単にこなすべきスケジュールとして処理されるに違いない。その時期になったら、もはや内実をともなった議論は期待できない。われわれは、とにかく目前のノルマと、後ろからせっついてくる締め切りに追われて、何も考えられなくなる。必ずそうなる。

 小池都知事は、31日、記者団に向かって

 「地は固まった。大会を3年後に控えて準備を急がないといけない。まとまってよかった」

 と、述べた。
 そのほかの知事や関係者も、異口同音に、時間が残されていないことと、決断を急がなければならないことを強調している。

 時間切れが迫っていることは事実だ。知事さんたちのおっしゃる通りだ。

 でも、私は、時間が無いことを粗雑な決断の理由にしてほしくはないと思っている。むしろ、時間が無いからこそしっかりと議論してほしいと考えている。

 「そんなことを言ったって時間が無い以上、しかたがないじゃないか」
 という人もいるだろう。
 それもわかっている。
 というよりも、わかっているからこそ私は無茶な要求をしている。

 私が「時間が無いからこそ」などと、底意地の悪いものの言い方で理屈の通らない要求をしているのは、時間が無いことを理解していないからではない。私は「どうして時間がなくなったのか」を問題化したいがためにこういう言い方をしている。

 ずっと前からこうなる気がしていた。

 「どうせ、もう間に合わないというタイミングになって、あらゆることがろくな議論もされないまま時間切れを理由にバタバタと都民の承認を得ることもなく決定されることになるに決まっているのだ」

 と、私は、もう何年も前からずっと、そう思っていた。
 果たして、事態は、予想した通りの形で進行しつつある。