いったいどういうことなのだろう。われわれは、ナメられているのだろうか。
 さよう。われわれは、ナメられている。都民は、事後承諾の形で支出を求められている。

 「えっ?」

 と言ったきり、レジの前で立ち尽くしている間抜けな酔客よろしく、わたくしども一千万都民は、はじめて見る伝票の中の身に覚えのないオーダーに絶句している次第だ。

 あるいは、多くの都民は、注文した記憶もない不思議な色の飲み物を、テーブルに出されたからという理由で、たいした考えもなくごくごくと飲み干すのかもしれない。

 まあ、本人たちがそれで良いというのなら仕方がない。
 私から特に申し伝えるところはない。

 私個人は、こと五輪に関しては、都の姿勢は、舛添さんの時代から比べて、明らかに後退したというふうに受けとめている。

 都は、組織委員会に良いようにされている。
 小池都知事は、森五輪組織委員長と対立しているように見せかけながら、その実、この1年間、あらゆる決断を先送りにすること以外に何もしていない。

 でもって、私は「なにもしていなかった」この1年間の不作為と不決断の意図を、深読みせずにはいられなくなっている。

 どういうことなのかというと、都と組織委員会は、綱引きをしているように見せかけながら、結局のところ、双方ともに「時間切れが近づいて、すべての決断を、議論無しで、説明抜きで、一瀉千里の勢いで片付けなければならなくなるタイミング」を待っていたのではなかろうか、と、そこのところを疑いはじめているわけです。 

 今回は、前回に引き続いて前川喜平前次官の証言がもたらした波紋について書くつもりでいたのだが、気が変わった。

 加計学園の問題には、まだまだこの先新しい展開がありそうだし、でなくても、もう少し大筋が見えてきてから扱った方が適切かもしれないと考えたからだ。

 一方、五輪については、ここへ来て、にわかに拙速な形で話が進んでいる。
 この、話の進行のスピードそのものに、私は、強い警戒感を抱きはじめている。

 というのも、五輪については「話が進んでいる」というよりも、「あらゆる決断がぞんざいにやっつけられつつある」と言った方が実態に近いと思うからだ。

 おそらく、これから先、事態は、さらにデタラメな決断が加速する形で進行していくはずだ。とすれば、6月のはじめのこの段階で、私の目に見えている現状を、あるがままに書き残しておくことには、一定の意味があるはずだ。