「前例」を重んじるということは、具体的には、警察官が共謀罪を「これまでに適用された事例のうちの許されている範囲の限度いっぱいまで」適用しにかかるということだ。

 これは、「エスカレートする」ということでもある。

 たとえばの話、米軍基地なり原子力発電所の建物なりを望遠カメラで撮影している人間が検挙されて、その彼が海外のテロ事件の共犯者であることが判明するようなことがあったら、次回からは事情に関係なく、国家の施設を撮影する人間は、問答無用で拘束されるようになるかもしれない。

 実際、十徳ナイフやマイナスドライバーに関しては似たことが起こっている。

 乗っているクルマのコンソールボックスにアーミーナイフ(←名前から連想するのはあの「ランボー」が振り回していた物騒なアレを思い出すかもしれませんが。実際には、栓抜きやらハサミがついている十徳ナイフみたいなスイス製の便利グッズです)を置いていたことで検挙のうえ書類送検されたミュージシャンの事例について、2007年にブログ記事の中で書いたことがある(こちら)。2009年の当欄コラムでも、ちょっと触れている((こちら))。
 興味のある方は、リンク先を読んでみてほしい。

 ここから推測されるのは、警察が、検挙実績を積み重ねるうちに、法の適用範囲を徐々に拡大し、さらには機械的に市民を検挙するようになるであろう、ということだ。 

 4月のはじめに、3年ほど使っていたカメラが壊れた。
 で、ここしばらく代替機を物色すべくネット内を渉猟していた。
 カメラが壊れたことそのものは残念なことだが、新しいカメラを選ぶのは楽しい。
「今度はもう少し望遠倍率の高いカメラにしようか」
「それとも、いっそミラーレス一眼を手に入れてみようか」
「いやいや、やはりポケットに入る大きさでないと……」
 などと、あれこれ考えるのは悪くない。
 が、結局、いまだにカメラを買っていない。

 当面スマホで間に合うということもあるが、一番の理由は、路上での写真撮影に、私が気後れを感じはじめているからだ。

 私がカメラを構えるのは、主に散歩中だ。
 自転車で出かけた折に、面白い建物や、奇妙な看板を狙って写真を撮ることが多い。最近では、草花の写真を撮ることも増えた。

 そういう場合、自転車のサドルにまたがった状態で、路上でシャッターを切っていたりする。
 これは、たとえば、捜査機関の人間にとってはどう見えるだろうか。怪しい人間に見えないだろうか。

 「盗撮」の疑いで逮捕されたおっさんのニュースを伝える新聞記事を見る度に、私はいやな気持になる。

 私が撮影しているのは、女性のスカートの内部ではない。
 幼女の水遊びを望遠で狙うようなこともしない。
 私がシャッターを押す対象は、もっぱら古いホーロー看板や、庭先に咲くモッコウバラや、私立学校のエントランスにほどこされた魅力的な意匠や、いずれにしろそうした非人格的な対象だ。

 とはいえ、ボンカレーのホーロー看板の横に洗濯物が干されているかもしれないし、その洗濯物の中には、女性の下着が混入しているかもしれない。学校の校門からエントランスを写した写真には、下校中の小学生が写りこんでいるかもしれない。

 そういうブツが写ったカメラを持って路上を歩いている時に不審尋問を受けたら、私は、無事で済むのだろうか。そんなことをあれこれ考えていると、おっさんが路上でカメラを持ち出すことのリスクについて、あんまり楽観的な予断は抱けなくなる。