誰にでも思いつくのは、「政権に弓引いた者の末路」を見せつけることで、「これ以上のリーク」を牽制したということだ。
 ということは、加計学園グループの周辺には、このほかにもまだリークするべきネタが転がっているということなのだろうか。
 まあ、これ以上はただの憶測になるので、何も言わないことにする。
 現時点ではっきりしているのは、前川氏が、プライバシーを侵害されたことだ。

 皮肉なのは、今回の読売新聞の報道が、これまで同紙が懸命に否定してきた「共謀罪」(あるいは「テロ等準備罪」)の脅威を裏書きする結果を招いている点だ。

 もちろん今回の事件そのものは、「共謀罪」とは無縁だ。
 前次官も、加計学園グループも、共謀罪と直接の関連のある人物や組織ではない。

 それでも私が、今回の一連の経緯を眺めながら、「共謀罪」がもたらすであろう未来に思いを馳せずにおれなかったのは、前川前次官をめぐる騒動を通じて、国家権力が「政権にとって不都合な情報をリークする人間」をどんなふうに遇するのか、そのモデルケースが可視化されたからだ。

 無論、「官邸が読売新聞にリークして書かせた」というのは臆測に過ぎない。
 一方で、さしたる根拠もないまま、個人の人格を攻撃する記事を大手の新聞が載せることの違和感ははっきりしている。官邸にとって大打撃になるインタビューに登場した個人を、だ。

 なので、われわれは、「権力は、どんなことでもやってのける」ということのシミュレーションを、これ以上ない形で体験した、くらいのことは言っても良いだろう。

 このことは、共謀罪が施行されたあかつきには、同じように「政権なり捜査機関にとって邪魔だったり不都合だったりする対象に対して」彼らが、「逮捕」「拘束」「検挙」といった、より強圧的な態度で報いるであろうことを物語っている。

 ついでに言えば、逮捕理由は、「秘密保護法」によって、開示されないかもしれない。
 実にぞっとする近未来ではないか。

 近い将来「共謀罪」が成立して、めでたく施行されたのだとして、その日からこの国の空気がガラリと変わるのかというと、おそらく、そんなことはない。

 別の言い方をすれば、私たちの社会に、自由と多様性が確保されている限り、「共謀罪」が市民生活を脅かすことは無いということでもある。

 ただ、「平和」は、周辺国や国境で偶発的な紛争が勃発すれば、わりと簡単に失われる。
 「多様性」も同様だ。
 ちょっとした、世論の動向で、うちの国の国民は、いとも簡単に「挙国一致」の人々になる。

 ただちに戦争が起こらなくても、「戦時」の空気がわれわれの社会に蔓延することは十分に考えられる。
 たとえば、隣国の発射するミサイルが、公海上にでなく、わが国の領海内に到達したり、あるいは何かの拍子で陸地に着弾することになったら、わが国の「空気」は、その日を境に、まったく違ったものになるはずだ。

 あるタイプの人々は、「売国奴」を警戒し、「外国人」を敵視し、「反日分子」をあぶり出すことに血道をあげるようになるだろうし、警察には不逞分子の暗躍を通報する愛国者の声が殺到するかもしれない。
 そういう時に、「共謀罪」は、力を発揮することになる。
 でなくても、捜査機関は、共謀罪の適用範囲を少しずつ広げていくはずだ。

 私は、警察官の邪悪さを強調したくてこんな話をしているのではない。
 私は、一人ひとりの警官が善良であっても、法を執行する立場の人々が仕事をするにあたって「前例」を重んじる限りにおいて、「前例」は、徐々に拡大するという、そこのところを心配しているだけだ。