モリカケ問題を扱ううえでの難しさは、国会での不毛なやりとりをずっと見せつけられていると、「些細なネポティズムを騒ぎ立てて政局を作ろうとしている野党よりも、とにかく国策を進めようとしている与党の方がずっと誠実だ」というふうに見えてきてしまうところにある。

 実際、法案の審議に対してどちらが誠実であるのかという一点だけについていえば、たしかに、与党の方がマトモに審議しようとしていることは事実だからだ。

 ただ、どうしてスケジュール通りに法案の審議に入れないのかの理由は、野党が妨害しているからというよりは、政権の側が答えるべき質問にマトモに答えていないからだ。

 与党ならびに関係省庁が、重大な疑惑についての文書を隠蔽し、廃棄し、改竄して、質問をはぐらかしているからこそ国会が空転していることを忘れてはならない。

 ……と、この種のお説教を書いていると自分ながら空しくなる。

 なぜというに、私がいま書いたみたいなことは、わかっている人には言うまでもなくわかりきった話だし、聞く耳を持たない人々にとっては、目障りなだけのクズだからだ。

 ということは、私の文章を読んで目が開かれたり啓蒙されたりする人間は一人もいないのであろうな。

 話題を変えよう。
 日本大学で起こっている恐ろしくも不毛な出来事に関連して、私は、23日の未明に

仮にも日本一の規模を誇る大学の広報が、これほどまでに醜い弁明を平然と開示している現今の事態は、この一年の国会答弁が、言葉を軽視する風潮を蔓延させてきた流れと無縁ではないはず。→「つぶせ」は「最初から当たれ」という意味 日大が主張:朝日新聞デジタル
 というツイートを書きこんだ。

 このツイートには、私を「アベノセイダーズ」であると論評するタイプの反論が多数寄せられた。

 私の書き方に曖昧な点があったことは認めなければならない。

 たしかに、虚心に読み下すと、このツイートの論旨は、オダジマが、日大の広報がバカな弁明を並べ立てた「原因」を、国会において不誠実な答弁を繰り返している安倍政権による悪影響に求めているように見える。

 私の真意は少し違う。
 書き方として、そういう書き方になっているが、私が伝えたかったのは、

「安倍政権がこの1年以上国会を舞台に繰り広げている日本語の成り立ちそのものを毀損する悪質な言い逃れの答弁と、日大の広報がこのたびの悪質タックル事件に関する弁明として告知した、文脈を無視して形式論理上の曲芸に逃げ込むテの立論は、その本質において同質であり、いずれも、言葉の機能を偏頗な論争技術の道具に堕さしめている点で極めて社会を害するものだ」

 ということだ。つまり

「われわれの周囲にあまたある腐敗は、どれもこれも同じ腐臭を放っている」

 という観察を言葉にしたものでもある。
 その「腐臭を放っているもの」に、もし名前をつけるのであれば、いっそ「日本」と呼んでもかまわない。

 してみると、私のアカウントに押し寄せて、「反日」というレッテルを貼って行った人たちの言い分にも一理はあったわけだ。