別の言い方をするなら、「モリカケ問題」を理由に政権への支持をひるがえすタイプの国民は、とっくの昔に政権を見捨てているのであって、今年の3月の段階でなお政権を支持していた人々は、この先モリカケ問題でどんな新事実が浮上しようが、決して安倍支持を引っ込めるようなことはしない、ということだ。
ごぞんじの通り、政権のコアな支持層の中には、
「モリカケ問題は、マスゴミやパヨク連中によるフェイクニュースにすぎない」
「あることないことを針小棒大に報道する捏造だ」
「安倍さんには一点の曇りもない」
「陰謀だ」
という見方を牢固として捨てない人々が一定数含まれている。
とはいえ、私の見るに、その種のいわゆる熱狂的な「アベ信者」は、声が大きいだけで、見かけほど数が多いわけではない。
多くの政権支持層は、実のところ、モリカケ問題が「クロ」であることに気づいているはずだ。彼らは、メディアで語られている事件の構図のすべてに関して安倍首相が責任を負うべきだとまでは考えていなくても、少なくとも「モリカケ」事案の一部に首相や夫人が関わっていたことについては、内心、すでに認めているはずだと私は思う。
で、ここから先が大切なところなのだが、日本人のおよそ3割を占める政権支持層は、モリカケ案件に総理夫妻が関与していたことを承知していながら、それでもなお、
「それがどうしたんだ?」
と考えて、そのことを、辞職に値する不祥事だとは考えていないのだ。
戦後の政治家は、大筋において、なんらかの意味で利益誘導を心がけている人々だった。
地元に鉄道の線路を引っ張ってくることを手始めに、地場産業の育成や、大手企業の誘致、高速道路計画の立案や原子力発電所の建設に伴う周辺自治体への補償などなど、地域選出の議員は、当然のつとめとして地元のために国の予算を使わしめることに力を尽くした。また、いわゆる「族議員」と呼ばれる議員たちも、自分に票と議席をもたらしてくれた特定の業界や団体の意を受けて、利益誘導をはかることを特段に後ろめたい仕事だとは考えていなかった。
というのも、昭和の常識では、議員が為すべき第一の仕事は、すなわち自分を選出してくれた地元や業界や後援会組織や宗教団体への恩返しをすることだと考えられていたからで、それゆえにこそ、わたくしども20世紀の人間の多くは、そうやって様々な地域や組織や支援団体や圧力団体が、選挙を通じて利益誘導のための代議士を飼うことそれ自体を、民主主義の実相と信じて疑わなかったのである。
そのデンで行くと、安倍さんが自分の親しい友人が経営する学園グループのためにひと肌脱いだことは、身内びいきのそしりは免れ得ないのだとしても、一人の人間として見れば、ごく自然な感情の発露でもあるし、昭和の常識から考えれば、むしろ頼りになる政治家(←「おやじさん」とか呼ばれるタイプの)としての当然の振る舞い方だったと言って良い。
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