ただ、彼が
《わしは「共謀罪」法案に賛成する。世界情勢を見れば、テロ対策の強化が必要なことは明らか。捜査機関による監視が強まるという批判もあるが、政府は「一般市民は対象にならない」と説明している。そう簡単にふつうの市民を逮捕できるわけがない。》
と一般市民が監視の対象にならない見通しを述べた上で
《むしろ共謀罪は、市民が犯罪者を拒む理由になるんじゃないか。》
と、「共謀罪」のポジティブな側面について語っている点については、異論を唱えておきたい。
ここで言う「犯罪者」とは、単に辞書にある通りの「(既に)犯罪を犯した人間」という意味ではなくて、文脈からして、「犯罪を企図している人間」あるいは、「犯罪に加担しているように見える人物」ないしは「犯罪との関連を暗示させる風体をしている人々」ぐらいな対象を指している。
とすると、おそらくこれは、やっかいな差別を引き起こす。
入浴施設やプールがタトゥーのある人間の入場を拒否しているどころの話ではない。
外国人や、ちょっと変わった服装をしている人間や、その他、無自覚な市民感覚が「普通じゃない」と見なすおよそあらゆるタイプの逸脱者が、市民社会から排除される結果になりかねない。
「共謀罪」がもたらすであろう恐怖のひとつに、捜査関係者が、「既に犯罪をおかした人間や組織」にとどまらず、「犯罪を企図したり計画しているように見える人物」や「テロの共謀が疑われる組織のメンバー」ないしは、それらに接触した人々を捜査対象にすることが挙げられているが、同じ原則を、たとえば、飲食店や、ゴルフ場や、公民館や公共施設が顧客なり市民に適用したら、実にいやらしい社会が形成されることになる。
私はそれを恐れる。
1か月ほど前に、ツイッターのタイムラインに、山口貴士さんという弁護士による
《「人権」と「みんな仲良く」は相容れない。人権教育のためには、人間は分かり合えないこともあるし、仲良く出来ないこともあることを教えないといけない。》(こちら)
というツイートが流れてきて、感心したことを思い出す。
なお、このツイートに関連して、憲法学者の木村草太さんが
《そうなんだよねぇ。分かり合えないし、仲良くもできない。でも、一緒に生きていかなきゃいけない。だから、お互いに守るべきルールを決めて、対立が生まれたときには、しっかり話し合いをして、それでも解決できなそうなら、公平な第三者に裁定してもらう。それが法システム。法学教育を推進したい。》(こちら)
という感想のツイートを発信している。
以上のツイートは、「共謀罪」とは直接にかかわりのある内容ではないのだが、「社会の均質性の維持」と「地域社会の絆の強化」をなによりも重視し、犯罪の抑止のためには、「外部からやってくる」「異分子としての」「邪悪で」「日本の伝統や文化と相容れない」人々を、自分たちの生活の範囲から遠ざけることが肝要だと考えがちな人々であるわれわれに、正しい警告をもたらすメッセージとして、「共謀罪」成立後にやってくるかもしれない世の中の窮屈さをやわらげるために拡散したいと思っている。
冒頭で述べた話に戻る。
与党は、数え方にもよる(つまり、法案に賛成する党派をすべて「与党」と数えるのか、それとも、内閣のメンバーである「与党」と、閣外から法案に賛成している党派を別にカウントするのか、ということ)が、両院において、ともに3分の2を超える議席を確保している。
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