ということは、当該の「出演者(オダジマ)」は、札付きというほどではないものの、「めんどうくさいキャスト」くらいな扱いにはなるわけで、ということは、彼らのクレーム運動は、結局のところ、成功していたのだ。

 成功もなにも、ノーリスクで展開される匿名の集団リンチは、結果としてターゲットがツブれようが生き残ろうが、リンチ参加者の側には何のコストも要求しないのみならず、祭りに参加する昂揚感をもたらすことは確実なのだからして、リンチがはじまった瞬間に、すでにして勝利しているのである。 

 出版の世界でも事情は変わらない。
 組織化された人々による集団的なクレームは、直接的な記事の差し止めや、執筆者の追放にこそつながらないものの、クレームに対応する末端の人間を確実に疲弊させる。その意味で不滅でもあれば不敗でもある。われわれに勝ち目はない。

 であるからして、たとえばこの連載や、それ以外も含めた編集者から私のところに、最近の例で言えば、前々回にアップしたハリルホジッチについての原稿(こちら)への過剰な絶賛の声が届けられる。

 「ものすごく面白かった」
 「近来まれに見る最高の原稿でした」

 と。はいはい。

 つまり、あれだ。政治的な主題を含まない原稿は、特段の歓迎をもって迎えられるわけなのだな。

 自分自身の感触としては、ハリルホジッチ氏の解任について考察したあの回のあの文章が、特段に素晴らしいデキだったとは思っていない。

 悪くはなかったと思っているが、そんなに特筆すべき内容だとも思っていない。
 が、それが過剰に喜ばれる。

 なぜかといえば、ああいう原稿を載せるにあたっては、各方面の顔色をうかがったり、面倒なコメント欄に付き合ったり、電話にビクビクしたりせずに済むからだ。

 てなわけで、今回の原稿は、荒れる原稿になる。
 いろいろとめんどうくさいことになるはずだ。

 が、このめんどうを厭ってはいけない。

 以前、言論への弾圧は、めんどうくささという形で立ち上がってくるものだということを書いたと思うのだが、そのことを踏まえて言うなら、文章を書く人間は、めんどうくささにひるんではならないのであって、だとすれば、このどうにもめんどうくさい原稿は、読んで面白くなくても、書いて楽しくなくても、言葉として残しておく価値を持っているのである。

 でもまあ、次回は、できれば、楽しい原稿を書いてみたいものだと思っている。自戒をこめて。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

心外な。本当に面白いからそう申し上げたまでです。
でも、ご指摘も当たっています。ああ、めんどうくさい日になりそうだ(笑)。

 小田嶋さんの新刊が久しぶりに出ます。本連載担当編集者も初耳の、抱腹絶倒かつ壮絶なエピソードが語られていて、嬉しいような、悔しいような。以下、版元ミシマ社さんからの紹介です。


 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。