ただ、内閣府という公的機関が、その不穏当な国民の声をそのまま開示して一般の閲覧に供することは、あたかも、国家がその不穏当な見解にお墨付きを与えるかのような印象を与える意味で、単なる投稿の結果とは別だ。
 到底容認できる話ではない。

 いかに表現の自由が保障されているとはいえ、内閣府の名において公開される国民の声として、ヘイトスピーチが市民権を得て良い道理はない。
 というよりも、政府主催のサイトを通じて、差別扇動の言説を流布できるということにでもなったら、法が法である意味も政府が政府である正当性もあったものではない。

 今回の国政モニターに関する不手際は、おそらくは、単なる運営側の怠慢あるいは見落としに起因するもので、政府が差別扇動者の言論宣伝に加担していたということではないのだろう。

 とはいえ、在日、帰化人の強制退去の必要性を喧伝していた人間たちが、掲載によって勇気づけられた可能性は否定できない。というよりも、彼らは、自分たちが内閣府の担当者によって、容認ないしは承認されているというふうに受け止めて、大きな自信を得ていたかもしれない。

 あのページを見た在日外国人は、どんな気持ちを抱いたことだろう。政府が政府の名において発信している公式の情報の中に、自分たちの国外退去を促す言説が堂々と掲出されていることに、物理的な恐怖を感じたとしても無理はないはずだ。

 その意味でも、「国政モニター」事件の副作用は小さくない。
 結局、この件も含めて、私は、うちの国の社会全体が、群れ集まって大きい声をあげる人たちの意図どおりに動きはじめていることを実感せずにおれない。

 めんどうな交渉事やクレームを嫌う現場の人々が、激越な調子で語る人々に対して妥協的に振る舞うことの積み重ねが世界を動かしているのだとすると、私のような人間のための場所は、この先、ますます限られていくことになる気がしている。

 このたび、特定の弁護士に懲戒請求を送る運動に参加した面々は、様々な場面で、集団的な「言論活動」に従事していた可能性が高い。

 現状、ネット社会の中で最も伝播力が高いと見られているヤフーのニュースサイトは、一方において、そのコメント欄がいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々の拠点になっている。

 実際、このコメント欄を通じて共有され、拡散される言論やものの見方が、特定の人々にもたらしている影響は、日々拡大しつつある。

 ヤフーに限った話ではない。
 コメント欄は、この5年ほどの間に、どこのニュースサイトやウェブマガジンも、おしなべて同じタイプの政治的志向を持つ人々によって席巻されつつある。

 当連載のコメント欄も同様だ。
 寄せられる意見の大勢は、3年前とはまるで肌触りの違うものになっている。