40年近く遡る話になるが、かつてゲームのプレイヤーが、現実世界の決まり事の裏をかこうとした事件があった。

 若い人は知らないと思うので、簡単に紹介しておく。

 1978年の11月20日、江川卓というアマチュア野球選手が、米国留学を突如切り上げて緊急帰国した。で、その翌日の11月21日午前に、巨人は江川と入団契約を結ぶ。巨人側の説明では「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行する形となった。詳しくは、ウィキペディアの「江川事件」の項目を参照していただくのだとして、要するに、当時の野球協約では、ドラフト会議によって交渉権を得た球団が対象となる選手と交渉できる期日が、翌年のドラフト会議の前々日までとされており、協約の文面を見る限りでは、前年のドラフト対象選手の身柄が一瞬の間自由になるいわゆる「空白の一日」が生じることになっていたからだ。

 この事件は、当時、巨大な反響を呼んだ。
 ドラフト制度に加わっておきながら、抜け穴を通ろうとする巨人軍のやり方が、あまりにも卑怯だったからだ。

 当時は「スポーツマンシップにもとる」「巨人軍は紳士の球団じゃなかったのか」という声が多数球団に寄せられたのだそうだが、考えてみれば、スポーツ的に(つまり「ゲーム的」に)考えれば、協約の文書を精読して「空白の一日」を発見した態度はむしろファインプレーだったと言える。

 しかし、野球協約はゲームのルールではない。
 実社会を動かす法だ。
 というよりも、野球にかかわる企業や人間や球団が互いにその信義に基いて取り決めた「紳士協定」に近いものだ。
 とすれば、その「紳士協定」の裏をかく行為は、「反社会的」のそしりを免れ得ない。

 意外な話だと思うかもしれないが、現実社会の決まり事は、法律文書が曖昧に定義している法の網の隙間を、人間の「常識」と社会の「倫理」で埋めることで動いている。

 であるからして、ゲームのプレイヤーがルールの裏をかいたり、対戦相手にフェイントをかけるみたいにして繰り出すクリティカルなワザは、実社会では「アウト」と判定されるのである。

 結局、読売新聞の不買運動にまで発展した巨人軍への反発は、翌年のドラフト会議でのドタバタや、巨人・阪神間での奇天烈なトレードなどのドタバタ劇につながって行くのだが、それらについては詳述しない。

 個人的には、この時の巨人軍の三百代言的な振る舞いが、その後プロ野球が国民的娯楽でなくなって行く道を歩む第一歩になったと思っている。

 パナマ文書の中のメンバーも、この先、ファンの信頼を失った巨人軍と同じ目を見るかもしれない。
 まあ、先のことはわからないが。 

 ここで、誤解をする読者がいるとといけないので、ひとこと補足しておく。

 私は、「ゲーム」という言葉を、「非人間的な」「非人情な」「人間の血が通っていない」「不謹慎な」「真剣さの足りない」「娯楽よりの」営みという、「悪い」意味で使っているのではない。単に「ルール万能の」「純理的な」取り組みという意味でこの言葉を使っている。

 だから、ホリエモンについても、ゲーム的な発想だからきらいだ、とか、ゲームっぽい生き方をしているから気に食わないと言っているわけではない。

 私が言おうとしているのは、ゲームとは別の原理で動いている世界にゲームの世界観を押し付けるのは乱暴だと思うよ、ということだ。