たとえばの話、昨年の今頃、「ゲス不倫」と呼ばれて袋叩きに遭っていた、ベッキー嬢とゲス氏の交際と、この度のマクロン夫妻のエピソードを比べてみたとして、どちらがより不道徳で、いずれがより純粋なのだろうか。

 マクロン夫妻の年代記が「大恋愛」と評され、ベッキー嬢の密会が「ゲス不倫」と名付けられたのは、この二組の交際にどんな質的な違いがあったからなのだろうか。

 マクロン氏が大統領でなく、フランス人でなく、男前でもモーツァルトでもないのだとしたら、彼の結婚にいたる物語は、「大恋愛」と呼ばれただろうか。
 疑問だ。

 うちの国のマスコミは、いったいにフランス人に甘い。特にフランス人の恋愛事情には、いちじるしく甘い。

 結婚であれ、事実婚であれ、不倫であれ、同性愛であれ、フランス人がこの道でやらかす不行跡に対して、われわれは決して文句を言わない。というのも、女性誌の編集者が暗黙のうちに定めたルールによれば、フランス人は服を10着しか持っていないのに常にエレガントで、グルメ三昧の食生活を謳歌しつつも一向に太らない体質で、恋愛に関しても全方向的な免罪符を所持していることになっているからだ。

 あるいは、マクロン夫妻の年齢差が逆転していて、39歳のマクロン氏が、25歳年下の、14歳の少女と結婚していたのだしたら、彼らは祝福されるだろうか。
 …いや、この例は極端すぎる。いくらなんでも14歳の少女と結婚という設定には無茶がある。

 つまり、アレだ。40歳の妻子ある高校教師のマクロン氏が、教え子である15歳のブリジット嬢との間に愛を育んで、後に結婚することになったのだとして、彼らの交際は「大恋愛」と呼んでもらえるのだろうかといったあたりが、この場合の正しい問いになる。

 これも、難しいはずだ。
 不倫どころか、淫行と呼ばれるかもしれない。
 情報拡散の時期や内容次第では、当局に取り調べられる展開すら考えられる。

 そもそもの話をすれば、われわれの周囲に転がっている恋愛のうちのどれが「大恋愛」で、そうでない交際はどうして、大規模な恋愛としての名誉ある扱いを受けられないのだろうか。

 障害を克服した恋愛が大恋愛だというお話だろうか。
 とすると、不倫や国際結婚や、敵対する二つの家系に属する男女の交際や、同性愛や複雑に交錯した三角関係や親子ほども年齢の離れた異例の二人による交際こそが大恋愛で、われわれの社会が模範的な組み合わせとして推奨している誰もが祝福する似合いのカップルによる穏当な異性交友はすべて「小恋愛」だということになるが、そういうことでよろしいのか?

 いや、良いとか悪いとか、そういうことではない。
 私が申し上げたいのは、恋愛に大小の区別をつけているのは、他人の色恋沙汰にドラマを期待する見物人のエゴではないのかということだ。