フランスの大統領選挙は、決選投票の結果、エマニュエル・マクロン氏が当選した。5月14日付けで、新大統領に就任する運びになっている。

 当選直後の各メディアの記事をひととおり見回してみると、マリーヌ・ル・ペン大統領誕生の可能性が消えたことに安堵する反応が目立つ。

 まあ、当然だろう。直前になって翻意したものの、長らくEU離脱の意向を表明していた彼女がフランスを率いる未来像はどう見ても剣呑だし、ヨーロッパの大国であるフランスが、排外的な民族主義にシフトする未来像も、素敵な結末とはいえない。とすれば、マクロン氏がいかなる人物で、この先どんなタイプのリーダーシップを発揮することになるのであれ、とにもかくにも、あからさまな極右の指導者であるル・ペン大統領の誕生よりは穏当だと考えるのが、外国人のリアクションとしては通り相場だ。

 個人的には、マクロン氏のプロフィールを伝える記事の中に「金融のモーツァルト」というフレーズが登場していたのが面白かった(朝日新聞DIGITAL「華麗なる経歴『金融のモーツァルト』最年少で仏大統領に」)。

 「○○のモーツァルト」という形式の成句は、「○○」のところに地名を代入したフレーズとして流通しているケースが多い。その場合、「○○のモーツァルト」は、○○にハメこまれた国なり地域を代表する音楽家を意味する。「浪速のモーツァルト」が代表的な例だ。どこの国にも、どんな町にも、その場所なりのその地域にふさわしいモーツァルトがいる。そして、それらの一人ひとりの田舎モーツァルトは、それぞれの地域の音楽に彩りと豊かさをもたらしている。素晴らしいではないか。

 この言い方は応用が利く。

 「静岡のマラドーナ」「ハマのメッシ」「岸和田のベーブ・ルース」「鶴巻町のジョニー・ロットン」「赤羽のプレスリー」「大阪営業二課のイニエスタ」「和製トランプ」「量産型アインシュタイン」てな調子で、われわれは、地域限定のスターと彼らが活躍するフィールドをワンセットの物語として楽しんでいる。かように、身近な誰かを偉大な誰かになぞらえる視点は、世界の解釈をスリリングにしてくれる魔法として、また、退屈な日常に刺激をもたらすスパイスとして、今日も人々を癒やしている。

 そんななかで「金融のモーツァルト」という言い方はちょっとめずらしい。
 ○○のところに、地域ではなくて、「分野」「カテゴリー」「活躍分野」の変数を当てている点が異色だ。

 この場合「金融のモーツァルト」は、「金融の世界に登場した、音楽におけるモーツァルトのような人物」ぐらいなニュアンスになる。「モーツァルト」の含意は、「早熟の天才」あるいは、「特筆すべき才能」といったあたりになるはずで、ということは、マクロンさんは、金融の世界で若くして頭角をあらわした天才的な人物だったのであろう。

 もっとも、皮肉な見方をすれば、モーツァルトの人物像は傲慢不羈な才人を示唆する記号にもなれば、下品な若者の暗喩としても通用する。35歳で病没したモーツァルトの生涯から逆算すれば、39歳のマクロン氏は、まだまだ十分に若いとはいえ、既に死に体の人物だということにもなる。

 いずれにせよ、モーツァルトは、メタファーの素材として、多彩な幻視とBGMをもたらす、極めてきらびやかな素材だ。こういう人物になぞらえられる人間は幸運だと思う。

 もうひとつ印象深かったのは、新たなファーストレディーとなるブリジッド・トロニュー氏に関する報道だ。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。