4月の下旬に私は、ツイッター上に
《信じられない不適切発言を撒き散らしている麻生さんのクビがいまだに胴体の上に乗っかっていることが信じられない。一連の暴言は、「死の町発言」や「産む機械発言」よりずっと悪質だと思うのだが。》
という言葉を書きこんだ。
このツイートは、たいして注目されることもなくなんとなくタイムラインの底に沈んでいたのだが、1週間後に、和田政宗という自民党の参議院議員が、私のツイートをリツイートしたうえで、
というツイートを投稿すると、その瞬間から、私の元ツイートには400件以上の罵倒のリプライが押し寄せるに至った。
ひとつひとつは、他愛のないツッコミなのだが、私が強い印象を受けたのは、ほとんどのアカウントが、私の元ツイートの中にある、
「麻生さんのクビがいまだに胴体の上に乗っかっていることが信じられない。」
という表現を、そのものズバリの殺人教唆、殺害予告ないしはテロ誘発の発言と見なしていることだった。
もっとも、「クビが胴体の上に乗っかっているのが信じられない」というフレーズを「いまだに辞任せずにいるのが納得できない」という意味の比喩であることを理解せず、文字通りの殺害予告と読み取ってしまう読解力の持ち主が400人以上押し寄せたというふうには、さすがに私も思っていない。
今回の事態は、むしろ読解をひとつのゲームと見なす人々が大量に現れたと見なすべきところなのだろうと考えている。
ツイッターはそういう場所だ。
たくさんの人間が、偏頗な読解や曲芸的な解釈を競っている。
おそらく、彼らの見方からすれば、麻生さんの発言が物議を醸していること自体、「マスゴミ」や「パヨク」の連中が、偏った読解をもとに火をつけただけの、ある種の「言い掛かり」ということになるのだろう。だからこそ、自分たちも、気に食わない人間の発言は、可能な限り悪意ある読み方で曲解して攻撃するという話になるわけだ。
面白いのは、その彼らのリプの多くが、文末に「w」や「(笑)」といった記号を付加する形式で書かれていることだ。
この記号の意味するところは、対話相手への嘲笑ないしは冷笑である以上に、語り手である自分自身の「余裕」のアピールだったりする。つまり彼らは、
「オレは余裕綽々だぜ」
「っていうか、あんたに対してオレは半笑いの片手間の姿勢で対応してるわけなんでよろしくな」
ということを強調せずにはいられない人々だったということだ。そして、彼らがそんなふうにやたらと笑いまくっている理由は、彼らが、主張や言説の内容が間違っていることよりも、「必死」だったり「顔真っ赤」だったりすることがなによりもみっともないとされる世界の住人だからなのだ。
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