もちろん、麻生さんの暴言に喝采を送っている面々がいる一方で、彼の発言のいちいちに突っかかっている批判派もいる。

 が、多数派は、匙を投げている。あるいは、無関心を決め込んでいる。
 いずれにせよ、大真面目に怒っているのは少数派に過ぎない。

 しかも、多数派に属する人々は、大臣の発言のいちいちに反応して、それらをことあげて問題視している口うるさい人々の態度を、「みっともない」「子供っぽい」「青くさい」「原理主義的な」「お花畑の」「優等生っぽい」「理想化肌の」マナーであると見なして、バカにしている。

 これは、なかなか厄介な状況だ。
 というのも、なにごとにつけて

 「たいしたことじゃないさ」

 と肩をすくめておくのがクールな態度だと思いこんでいる人たちの耳に届くのは、もっぱら温度の低い言葉だけで、いきり立っていたり強く主張していたり、説得しようと勢い込んでいたりする言葉は、

 「どうしてそんなに必死なんですか(笑)」

 ってなぐあいに、スルーされてしまうからだ。
 この態度には覚えがある。

 というのも、私の世代の者(1956年前後の数年間に生まれた人間)は、高校生だった頃から、「シラケ世代」「三無主義世代」(無気力、無関心、無責任の意。後に、無感動が加えられて四無主義世代と呼ばれたこともある)と呼び習わされた人間たちだったからだ。

 われわれがシラケた若者として振る舞うようになったのは、基本的には、ひとつ上の団塊の世代の若者たちが、やたらと活発で熱血で助平で傍若無人だったことへの反動によるものだとは思うのだが、このあたりのあれこれについて、この原稿の中で、特別に深く分析しようとは思っていない。ともあれ、一世代上の団塊の人たちのやかましい挑戦と失敗の様相を眺めながら育った人数の少ない統計グループであるわれわれは、万事につけて温度の低い人たちだったということで、ここでは、私が、昨今のネット上でデフォルト設定になっている冷笑とシニシズムは、そもそも自分たちの持ち前だったという自覚を抱いているということを申し述べておくにとどめる。

 麻生さんの一連の発言は、ある意味で、政治を冷笑している人たちの気分にフィットしている。

 といっても、彼らが、必ずしも支持しているというのではない。

 彼らとしては、バカにしつつ面白がっているくらいな力加減で、むしろ、麻生発言にいちいち腹を立てているおっさんたちを笑うことの方に重心を置いているのだと思う。

 ともあれ、彼らは麻生さんを面白がっている。

 なぜなら、あのバカバカしさと底の浅さは、自分たちがそれをマトモに相手にしない理由としてまさにピッタリでもあれば、政治に必死なバカなおっさんたちをあぶり出すための絶好のトラップだからだ。

 私のツイッターアカウントにも、そういう人たちからのリプライやメンションが届けられる。