《政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ》(こちら

 実にバカな発言だ。

 個人的には、私は、今村大臣の25日の不用意な言葉よりも、その翌日に二階幹事長が言ってのけた、この明らかな報道威圧発言の方がはるかに悪質だと思っている。

 なにしろ、政権与党の幹事長が、

 「マスコミの首を取った方が良い」
 「そんな人ははじめから排除して入れないようにしなきゃダメだ」

 と言ったのである。これが報道の自由への圧力でなくて何だというのだろうか。

 ところが、この発言を、「クビを取った方が良い」「排除しなきゃダメだ」と言われた当の相手であるマスコミが、たいして問題にしていない。

 というよりも、言われっぱなしで黙り込んでいる。

 軽量の復興大臣の言葉の言い間違いは揚げ足を取って辞任に追い込むくせに、幹事長の恫喝発言は見てみぬふりで済まそうというのだろうか。
 いったいどこまで腰抜けなんだろうか。

 二階幹事長が、自分の派閥の子分にあたる大臣の辞任劇に不満を抱いた気持ちはわからないでもない。
 彼の目から見れば、今村大臣はマスコミによる「揚げ足取り」の犠牲者に見えたのだろう。

 しかし、だからといって、特定の記者を取材の現場から締め出すことを幹事長という立場の人間がメディアに向けて明言して良いはずがない。

 この発言は、その「真意」からすれば、今村大臣の失言よりも数層倍凶悪な意図をはらんでいる。
 なのに、メディアは問題にしない。
 なぜだろうか。

 突飛な思いつきだと言われるだろうが、私は、先日来話題になっている官僚の「忖度」と、今回の辞任劇の陰の主題に見える「揚げ足取り」は、実は、同じひとつの現象の別の局面に過ぎないのではなかろうかと思いはじめている。 

 別の言い方をすれば、「忖度」と「揚げ足取り」は、一対の相互補完的なしぐさなのであって、役人が「忖度」を仕事の中心にしていることと、マスコミが「揚げ足取り」を政治報道の柱に据えていることは、実は同じことであるような気がするのだ。

 わが国の国語教育の現場では、表現力を磨くことや、説明能力を育むことよりも、とにかく読解力を高めることばかりが求められている。