では、誰の責任なのかというと、元凶はつまるところ世論だと思っている。
 それが今回の主題だ。
 ハリルホジッチは、結局、われらサッカーファンが追放したのだ。
 悲しいことだが、これが現実だ。

 一部に今回の解任劇の真相を電通の陰謀やスポンサーの圧力に帰する見方が広がっていることはご案内の通りだ。
 私自身、その見方がまるで見当はずれだとは思っていない。

 実際、電通ならびにスポンサー各社(ついでに言えばテレビ各局およびスポーツ新聞各紙も)は、少なくともこの半年ほどハリルホジッチのサッカーに対してあからさまに冷淡だった。

 が、それもこれも、彼らの金主であるサッカーファンの声を反映した結果以上のものではない。

 彼のサッカーは人気がなかった。
 特に、サッカーにさほど関心のない層に人気がなかった。
 これは、特筆大書しておかなければならない事実だ。

 サッカー界の動向は、サッカーにさしたる関心も愛情も持っていない多数派のサッカーファンが動かしている。
 ほかの世界でも同じなのかもしれない。

 どんな世界でもマジョリティーというのは、対象についてたいした知識も関心も愛情も抱いていない人たちで、そうでありながら、世界を動かすことになるのは、その気まぐれで無責任なマジョリティーだったりするのだ。

 結論を述べる。
 今回の解任劇の隠れたシナリオは、サッカーにさしたる関心も愛情も抱いていない4年に一度しかゲームを見ない多数派のサッカーファンが、「華麗なサッカー」を見たいと願ったところから始まる悲劇だった。

 今回の例に限った話ではない。トルシエも、ジーコも、ザッケローニの時も同じだった。われわれは、三顧の礼で外国人監督を迎えながら、最後には彼らを追放した。

 どうしてこんなことが繰り返されるのか。

 繰り返すが、4年に一度W杯の時にだけサッカーを見る多数派のサッカーファンは、見栄えのするサッカーを見たいと思っている。

 彼らは、日本人選手の中から、ボール扱いの巧い順に11人の選手を並べて、テレビ画面の中に、スキルフルでテクニカルでスリリングで華麗なサッカーを展開してほしいと願っている。

 ところが、世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ。

 予選を勝ち抜いているうちは、ファンも我慢をしている。
 というよりも、アジアの格下を相手にしている間は、力関係からいって守備的なサッカーをせずに済むということでもある。

 しかしながら、本番が迫って、強豪チームの胸を借りる親善試合が続くうちに、当然、守備的な戦いを強いられるゲームが目立つようになる。
 で、いくつか冴えない試合が続くと、ファンはその田舎カテナチオに耐えられなくなる。

 人気選手に出資しているスポンサーも、視聴率を気にかけるメディアも、派手な見出しのほしいスポーツ新聞も同じだ。彼らは、技術に優れた中盤の選手がポゼッションを維持しつつスペクタクルなショートパスを交換するクリエイティブでビューティフルなサッカーを切望している。でもって、そのサッカーの実現のために、華麗なボールスキルを持った技巧的で創造的な選手を選出してほしいと願っている。もちろん、スポンサーもその種の華のある選手をCMに起用するわけだし、テレビ局はテレビ局でより高い視聴率のために知名度のある選手をスタメンに並べる戦い方を希望している。

 もちろん、その戦い方を採用して勝てれば文句はないわけだが、どっこいそうはいかない。

 きょうびブラジルでさえ、巧い順から11人並べるみたいなチームは作ってこない。そんなことで勝てるほど世界のサッカーが甘くないことを知っているからだ。