「コミュニケーションと信頼関係が最終的かつ不可逆的に失われた」と断言し、そう断言したことの責任を引き受ける覚悟で解任理由を語ったのであれば、まだしもその先の話を聞く気持ちにもなる。

 が、実際に言ったのは「多少薄れてきて……」というおよそ腰の引けた言い草だ。こんな言い方でこれほどまでに致死的な決断を語ってしまう人間の言葉を、いったい誰が信用するというのだ?

 マリ戦およびウクライナ戦の結果を問題視する判断も承服できない。
 親善試合は親善試合だ。戦術を試す意味もあれば、選手を試す意味もある。結果も内容も、本番のための試金石に過ぎない。とすれば、その結果をもとに監督の資質を評価されたのではたまったものではない。

 私は、個人的にハリルホジッチ氏が本番に向けてひそかにあたためていたかもしれない秘策に期待していた。それを裏切られた意味でも、今回の解任には失望している。どうして、包装を解く前にケーキを箱ごと捨ててしまうことができたのか、そのことが惜しまれてならない。

 もうひとつ、後任監督に西野朗技術委員長を抜擢した点も、筋の通らない措置だったと思っている。

 西野さんの能力や人格についてどうこう言いたいのではない。
 監督の仕事を評価する役割を担う技術委員長であった西野氏を後任監督に就けるのは、組織の力学として狂っているということを申し上げている。

 いったいどこの世界にアンパイヤが打席に立つ野球があり、審査員が受賞するイベントがあるだろうか。
 そんなことを許したら、野球が野球であり賞が賞である正当性が失われてしまう。
 あるいは、派遣労働の自由化に尽力した政治家が人材派遣会社のオーナーになったら、いったい誰が政治を信頼できるだろう。

 今回のこの人事は、ファンの間で「行司だと思っていたらふんどしを締めていた事案」と評価されている。
 それほどスジが違っていたということだ。
 監査法人が会社を乗っ取って良いのか、という話でもある。
 論外だと思う。

 でもまあ「ほかに適任者がいなかった」事情は理解できる。
 たしかに、岡田武史さんがS級ライセンスを返上してしまった以上、日本中を見回して(あるいは世界中を見回しても)この時期にチームを引き受けて指揮を取れそうな人物は、西野さんをおいてほかには見当たらなかったはずだ。

 でも、だとしたらなおのこと、「適切な後任が見当たらない状況下でどうして唐突な解任に踏み切ったのか」と思わずにはいられない。
 逆に言えば
「この人なら大丈夫だろう」
 という誰もが納得する後任にあらかじめ目星をつけていたのであれば、いきなりの解任にも、これほどの憤りは感じずに済んだことだろう。

 ともあれ、コトは起きてしまった。
 そしてわれわれは、起こってしまったことは良いことだと考えがちな国民だ。

 以前、中島岳志さんと何かのイベントでご一緒した時に彼が教えてくれたお話をもう一度蒸し返しておく。こんな話だ。小泉内閣の時代に、朝日新聞が首相の靖国神社参拝への賛否を問う世論調査を実施したことがあった。

 参拝前の調査では、反対が賛成を大きく上回っていた。
 ところが、首相が参拝を強行したその後にあらためて賛否を問うてみるとその時の調査結果では、賛成が反対を上回っていたというのだ。

 実にありそうな話ではないか。
 よく似た例は、ほかにもたくさんある。

 ハリルホジッチ解任についての賛否も、国民世論は、順次現状を追認する方向で推移していくはずだ。
 なんであれ、起こってしまった事態には余儀なく適応する。われわれは、そういう国民なのだ。

 さて、ここまでの話は、実は前置きだ。
 私は、協会の説明能力の低さと現状認識の甘さに失望感を抱いてはいるものの、ハリルホジッチ解任の責任が全面的に彼らにあるとは思っていない。