もちろん、チームの空気を穏当な状態に保ち、戦える集団として運営していくことも監督に求められる重要な仕事のひとつではある。その意味では、ハリルホジッチ氏が、円滑なチームマネジメントに失敗していたのだとしたら、それはそれで彼の失点として数え上げなければならない。

 とはいえ、「信頼関係」だとか「コミュニケーション」だとかいった、主力選手に冷たくあしらわれてスネた部活のマネージャーがふてくされて部活日誌に書くみたいなお話が、W杯本番を2カ月後に控えたチームの指揮官の解任理由として通用すると考えた協会幹部のアタマの悪さは、やはり問題視されなければならない。

 百歩譲って、相手が思春期の生徒なら
 「だって、こっち向いてしゃべってくれないんだもん」
 式のクソ甘ったれた反応も、魂の成長痛のひとつとして容認してあげても良いだろう。

 しかし、サッカー協会の会長は60ヅラを下げたおっさんだ。その酸いも甘いも噛み分けているはずの還暦過ぎのジジイ(すみません、書いている自分も還暦過ぎました)が、W杯を2カ月後に控えたタイミングで代表監督を解任するにあたって持ち出してきた解任理由が、言うに事欠いて「信頼関係が多少薄れてきた」だとかいう間抜けなセリフだったというこのあきれた顛末を、われわれは断じて軽く見過ごすわけにはいかない。こんなバカな理由を、いったいどこの国際社会が失笑せずに受け止めるというのだろうか。

 仮に、チームの雰囲気が良くなかったことが事実なのだとして(たぶん事実だったのだと思うが)、そんなことは「よくある話じゃね?」としか申し上げようのないお話だ。

 世界中のあまたのチームの一流選手たちが、トゲトゲした雰囲気の中で、それでもゲーム中の90分間だけは一致団結してボールを追いかけている。ロッカールームでは視線すら合わせない選手同士がパス交換をするからこそ、サッカーはサッカーたり得ている。当たり前の話じゃないか。

 仮に起用法に不満を持つ選手がいたり、選手間で戦術の理解にバラつきがあったのだとしても、戦術と用兵は監督の専権事項だ。あるいは、監督と選手の間でサッカー観が一致しない部分があっても、最終的には選手は監督の指示に従わなければならない。というよりも、監督というのは、そもそも選手間でバラつきがちな戦術観を統一するためにベンチに座っている人間なのである。

 とすれば、サッカー協会に監督との不和を直訴した選手がいたのだとしても、協会としての答えは、

 「監督のサッカーに不満なら君がチームを出て行くほかに選択肢はない」

 に尽きているはずだ。

 それでもなお、チームの主力と監督の間に広がっている溝が、あまりにも深刻で修復不能に見えた時には、どうすれば良いのだろう?

 答えは、早めに手を打つことだ。

 別の言い方をするなら、これがW杯1年前のタイミングなら、あるいは、選手の側の言い分を尊重して監督の方を解任する選択肢もあり得たということだ。今回のハリルホジッチ氏のケースで言えば、昨年9月の段階ないしは、最悪でも日韓戦での惨敗直後のタイミングなら、ギリギリで解任を模索する道が残されていたかもしれない。

 しかし、4月ではダメだ。
 お話にならない。

 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから
 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」
 と言うのと同じくらいあり得ない。

 しかも、田嶋会長は
 「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて……」
 と言っている。おい、「多少」だぞ「多少」。「多少」なんてことで、解任を言い出して良いと思うその考えを、田嶋さんはどこの学校で教えられてきたのだろうか。