
久しぶりにサッカーの話題に触れておきたい。
この先、ワールドカップ(W杯)が間近に迫ったタイミングになると、ネガティブな文章は書きにくくなる。
だから、いまのうちに書いておく。
今回の記事はそういうテキストになる。
私は、一人のサッカーファンとして、6月から開催されるロシアW杯の成功を願っている。
なので、本当なら、その盛り上がりに水をさすような原稿は書きたくない。
でも、それはそれとして、サッカーファンだからこそ書かねばならないことがあるはずだとも思っている。
いま書いておかなければ、日本のサッカーに未来はないとすら考えている。
なんというのか、一人の男がサッカーファンになるということは、自分の力で自国のサッカー界を変革せんとする夜郎自大な思い込みをアタマの片隅から滅却できなくなるということでもあるわけで、実に厄介な生き方なのである。
私は、ハリルホジッチ監督を解任した日本サッカー協会のガバナンスを信頼していない。
理由は、協会の首脳部が、監督人事とチーム編成という自分たちの最も大切な仕事に関して筋道だった説明を回避しているからだ。この態度は、日本のサッカーがこの30年ほど歩んできた道筋を自ら台無しにするものだ。
もっとも、私が苦言を呈することで協会が目を覚ます、と、本気でそう思っているわけではない。
そんなことは不可能だ。
私がこれからここに書くテキストは、心の中で思っていることを吐き出さずにいると体調を崩してしまうからという私自身の個人的な事情を反映した結果にすぎない。
協会の関係者にも読んでほしいと思ってはいるものの、私の見るに、彼らは死によってのみ治癒可能なタイプの疾患をかかえている人々だ。そんな人たちの考えを改めるに足る文章を書くことは、書き手が誰であれ、不可能な仕事だ。
自分が愛情を寄せている対象に、いつでも変わることなく賛嘆と支援の気持ちのみで向き合えるのなら、それに越したことはない。
実際に、そうしている人たちがたくさんいることも知っている。
私にはそれができない。
私は、愛すればこそ苦言を呈さなければならないと考えてしまう厄介な組の人間だ。
反日という言い方で、私の言いざまを罵る人々が現れるであろうことはわかっている。
あらかじめ言っておきたいのは、私が日本のサッカーに注文をつけるのは、弱くなってほしいからではないということだ。私は、きたるW杯の舞台で、日本代表チームが一つでも多く勝つことを願っている。
ただ、勝利を願う一方で、私たちの代表チームが、このたびの愚かな選択の報いを受けるべきだと考える気持ちをおさえることができずにいる。
こんな不幸な気持ちでW杯を迎えるのははじめてのことだ。
4月9日、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は、2015年3月以来3年間にわたって日本代表チームの監督としてチームを指揮してきたヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を発表した。
この時の会見で、田嶋会長は、解任の理由について、内容、結果ともに低調だった3月のマリ戦、ウクライナ戦の結果を受けて「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて、今までのことを総合的に評価してこの結論に至った」と語っている。
以降、これ以上の説明をしていない。
サッカーチームは、どんな枠組みのどんなレベルのチームであれ、常に監督と選手との間に緊張感をはらんだ中でゲームに臨むものだ。
むしろ、高いレベルになればなるほど、監督と選手の間には戦術や起用法について意見のぶつかり合いや感情的な行き違いが生じやすくなると言っても良い。
監督と選手の間だけではない。中盤の選手と前線の選手の間にはいつもポジション取りについての齟齬が生じているものだし、ディフェンスの選手と中盤の選手も、常に守備の最終ラインや攻撃の起点に関して異論をぶつけ合っている。ベンチにいる選手とピッチの上にいる選手の間にも当然のことながら対立を孕んだ空気が介在している。
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