「日本人による○国人差別ばかりを問題にして、○国人による日本人差別に目を伏せているのは、おまえが○国からカネを貰っているからなのか?」
「なるほど。あなたの血統がわかりましたよ」
「要するに日本を貶めればそれで満足なのですよね?」

 苦情を寄せた人々の言い分に従うなら、A国人によるB国人への差別や、C人種によるD人種への差別や、その他世界中に遍在するあらゆるタイプの差別のすべてを漏れ無く糾弾している人間以外は、特定のスタジアムで起こった個別の差別事案に言及できないということになってしまう。

 なんと馬鹿げた設定ではないか。

 スタジアムの話は、あくまでも一例だ。
 私のような、なんら公共的でもなければみなさまの放送料金で生計を立てているわけでもない個人アカウントのもとに

「アレを言うのにコレを言わないのはなぜだ」
「A党議員の政治資金疑惑を揶揄していながら、B党議員の政治資金疑惑に触れないのは卑怯だ」

 という問いかけが、毎度飽きもせずに寄せられることを思えば、NHKの公式アカウントに、

「○○を取り上げたのに××を取り上げないのはなぜですか」
「△をフォローしているのに□をフォローしてないのはどうしてですか?」
「XXXのような反社会的なアカウントをフォローしている意図を教えてください」
「YYYが、xCIAのなりすましアカウントであることを本当に知らないのですか?」

 といった感じのおよそめんどうくさい問い合わせが殺到していたのであろうことは、想像に難くない。

 昔読んだ、『キャッチ=22』という小説に、「どこに居なかったのか」を問われる被告の話が出て来たのを思い出す。

 被告は、犯行が行われた日時に、自分が「いなかった場所」のすべてを列挙しなければならない。
 また彼は、その時、自分が「何を言わなかったのか」を問われる。

「私は、○○と言いました」
「当法廷は、被告が何を言ったのかを尋ねているのではない。何を言わなかったのかを問うている」
「○○という言葉以外のすべてです」
「当法定は論理の遊びを求めているのではない。言わなかった言葉をすべて列挙しなさい。そうでないと被告の無罪は認められない」

 と、話はおよそそんなふうに進むのだが、ネット内で頻発される

「○○を言っていながら、××に言及しないのはなぜだ」

 というタイプの問い詰め方は、この『キャッチ22』の中のエピソードと、構造としてとてもよく似ている。
 なんというのか、

「○○を問題にする人間が、××を問題にしないのはダブスタだ」

 という形式の決めつけは、その前提の部分に背理を含んでいるということだ。

 熊本で大きな地震が起こって、ネットの空気はいつにも増してギスギスしたものになっている。

 被災地を応援するメッセージを送った芸能人が、そのメッセージに満面笑みの自撮り写真を添えたことを非難(「自分に酔っている」「自己アピールに震災を利用するな」「笑ってる場合か」ということらしい)されて、謝罪に追い込まれたり、実家が全壊した芸能人が、避難の苦労を訴えるツイートを繰り返すと、その言い方に対して「被災したのはおまえだけじゃない」「自己判断で自分勝手な避難をしていないでさっさと避難所に行け」という糾弾の声が殺到して、最終的にネットでの発信を断念する決断を下したりというお話が聞こえてくる。