しかも、朝日新聞が伝えているところによれば、どうやら、「そもそも」について「基本的な」の語義を掲載している辞書は存在しない(こちら)。

 どうでも良い話を長々としてしまった。
 本当は、こんな話は、はじめからどっちでも良いのだ。

 大切なのは、首相が、辞書に載っている(とされる)語義をネタに、山尾議員を揶揄している点だ。嬲っているという言葉を使っても良い。とにかく、首相は、相手を嘲っている。これは辞任に値するとまでは言わないが、到底品格のある態度ではない。
 少なくとも、首相の国会答弁にはふさわしくない態度だ。

 「忖度」をジョークのネタにしたこともそうだが、この半年ほど、首相の言動には、対話の相手を嘲弄したり、質問そのものを揶揄するような、不真面目な態度が目立つ。

 このこと自体は、私がたしなめてどうなることでもないし、仕方のないことだとも思っている。
 首相にしてみれば、あれこれと責められて反撃したい気持ちがあるのだろうし、ああいう立場にある人間にフラストレーションがたまるのは、考えてみれば当然のことでもあるのだろう。

 私が懸念するのは、首相が野党をバカにし、閣僚がマスコミを軽視しているその態度が、なんとなく支持を集めているように見える昨今の状況だ。

 どうしてこういうことになっているのかまではよくわからないのだが、首相が野党やマスコミの質問をはぐらかしにかかる態度は、実のところ、そんなに評判が悪くない。

「バカな質問にいちいち真面目に答える必要はないだろ」
「相手がバカなんだからバカな答え方をするのは鏡の法則からして当然だよ」

 と、むしろ歓迎されているかもしれない。

 現政権が大臣を辞任させないのは、責任を認めて辞任させるとかえって政権の支持率が下がるであろうことを学習したからだと思う。

 第1次安倍政権も、民主党政権も、相次ぐ閣僚の辞任で、求心力を失い、支持を失い、最終的に政権を投げ出さざるを得なくなった。責任を取ったことが、かえって責任を追及される弱みになってしまったカタチだ。

 とすれば、責任など、取らない方が良い。
 と、政権側がそう考えるのは、むしろ当然の帰結なのかもしれない。

 仮に、責任と呼ばれているものが、取るからこそ生じるもので、取らなければじきになくなってしまうものであるのだとしたら、そんなものは、はじめから取らない方が良いに決っているではないか。

 多くの国民は、失言の悪質さを理由に辞任を求めるというよりは、むしろ、辞任したという結果から失言の悪質さを逆算するぐらいの関心度で政治報道を眺めている。

 とすれば、辞任せずに知らん顔をしていれば、多くの国民は「たいした失言ではないのだな」と判断してくれるはずで、そうである以上、辞任などしない方が良いにきまっているわけだ。

 私はいま皮肉を言っているつもりなのだが、これは、結果として、皮肉にならないかもしれない。

 いずれにせよわれわれは、ジョークがジョークとして通用せず、皮肉が皮肉として響かない時代に足を踏み入れつつある。
 そんなわけなので、できればこの原稿は笑わずに読んでくれるとありがたい。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

コラムの書き手が変わったからって、何が変わるわけでも…
と、思わせないように編集部も頑張ります。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。