なぜだろうか。
 私の考えを述べる。

 10年前なら即座にクビが飛んでいたはずの失言で大臣のクビが飛ばなくなった理由のひとつは、この10年ほどの間に、大臣のクビを次々と飛ばし続けていた理由がいちいちあまりにもくだらなかったからだ。

 わかりにくい言い方をしている。

 もう少し噛み砕いた言い方をすると、第1次安倍政権から民主党政権の時代を通じて、些細な言葉尻をとらえたメディアによるバッシングで閣僚が辞任に追い込まれるケースが相次いだことが、現今の状況をもたらしているということで、つまり、現在の、閣僚が相当に悪質な失言をやらかしてもクビが飛ばずに済んでいる状況は、過去においてあまりにも安易に大臣のクビが飛ばされてきたことへの反動ないしは、それらの事態がもたらした副作用なのである。

 別の側面から見れば、メディア主導の報道圧力で大臣のクビを飛ばせなくなっているこの数年間の状況は、メディア自身が招いたメディア不信の結果でもある。

 「死の街発言」や「放射能付けちゃうぞ発言」で大臣の責任を追及し、「絆創膏会見」を理由に大臣の辞任を迫ったマスコミは、文脈から切り取った発言をネタに大臣の首を取ることを自らの手柄であるかのように振る舞うその態度の不遜さを理由に、読者・視聴者の支持を失うに至った。そういうふうに考えなければならない。

 彼らは、大臣のクビを無駄に飛ばすことを通じて、自分たちのクビを締めたのだ。

 山本大臣の発言が論外の暴言であること自体は、多くの国民がそう思っているところだろう。
 この点に異論は少ないはずだ。

 彼自身の政治家としての評価も、今回の失言とセットで伝えられた過去の不祥事からして、地に堕ちたと考えて良い。
 にもかかわらず、山本大臣が即座に更迭されるべきだと考えている国民は、そんなに多くない。

 たぶん多くの国民は、
「別にいいんじゃねえの?」
 と思っている。

 というよりも、
「誰に代わったからって何が変わるわけでもないだろ?」
 ぐらいに考えている。

 一番の危機は、実にここのところにある。

 つまり、誰も閣僚に高い見識や立派な人格を期待しなくなっているというこの状況こそが、安倍一強体制がもたらしている最も顕著な頽廃なのである。

 われわれは、メディアにも、政治にも、粗忽軽量な大臣にも、代わりにやってくるかもしれない新任の大臣にも、あらかじめうんざりしている。この頽廃は、簡単には回復しない。たぶん、もう1回戦争がやってきて、もう1回反省するまで、この状況は改まらないだろう。

 4月17日、すなわち山本大臣による「学芸員はがん」発言があった翌日、安倍首相は、都内の商業施設のオープニングセレモニーに出席し、地元・山口県の物産も積極的に販売するよう「忖度(そんたく)していただきたい」と挨拶して、笑いを取ったのだそうだ(こちら)。

 ジョークの出来不出来は別として、このタイミングで、「忖度」という言葉を使って笑いを取りに行った神経に首相の「意地」のようなものを感じる。