財務省という組織が、ここまでの一連のやりとりを通じて露呈したダメージコントロールのダメさ加減を主題にすれば、それはそれで一本の原稿になるだろうとは思う。麻生財務大臣の発言傾向を政権時代にさかのぼって時系列で検討してみれば、それもまたそれなりに下品ながらも面白いテキストができあがることだろう。

 とはいえ、そのあたりのことをネタに、私が小器用な原稿を書いてみせたところで、どうせきちんと自分の足で取材している人の文章には及ばない。
 なので、ここから先は、ほかの書き手があまり手がけないであろう話をする。

 週刊新潮が伝えた福田氏のセクハラ疑惑の第一報を読んで、私が最初に感じたのは、驚きというよりは、違和感に近い感覚だった(こちら)。

 というのも、録音された音声を聞いた上であらためて記事を読んで見ると、福田氏のセクハラ発言が、通常の日常会話や取材への受け答えの中にまったく無関係に挿入される挿入句のように機械的にリピートされている印象を持ったからだ。

 それこそ、学齢期前の子供が、進行している対話とは無関係に「うんこ」とか「おしっこ」だとかいった単語を繰り返し発声しながらただただ笑っている時の、幼児性の狂躁に近いものを感じた。

 であるから、第一印象として私が抱いたのは、いやらしさや嫌悪感よりも、不可思議さや不気味さであり、もっといえば当惑の感情だった。

 新潮の記事を読むと、福田氏は、取材者である女性記者の質問に答えながら、同時並行的に、取材の文脈とはまったく無縁なセクハラ発言を繰り返している。

 不思議なのは、セクハラ発言だけを繰り返しているのでもなければ、取材への対応だけをしているわけでもないことで、この点だけを見ると、まるでマルチタスクのOSみたいに機能しているところだ。

 つい昨日、ある知人との対話の中で、この時の福田氏の会話の不思議さが話題になった。

 「どうしてこんなに能力の高い人が、これほど支離滅裂なんだろうか」

 というのが、その時のとりあえずの論点だったわけなのだが、私は、その場の思いつきで、以下のような仮説を開陳した。

 「思うに、福田さんは、事務次官という官僚の頂点に相当する地位に就いていることからも想像がつく通り、本来は猛烈にアタマの良い人で、仕事もできるはずです」
 「だから、こういう人のアタマの働き方を、われわれみたいな凡人と同じ基準で評価してはいけません」
 「おそらく、異様なばかりに高いポテンシャルを備えた福田さんの脳みそは、助平な思考のためのスレッドと業務用の思考のスレッドをふたつ別々に立てて、その両方をまったく相互に支障なく両立させることができるはずで、だからこそ、助平な福田さんと有能な福田さんという二つの別々の人格を同時並行的に機能させつつ、その二人の腹話術的複合人格の福田さんとして振る舞うことが可能だったのだと思います」