成田への直行便を待つデリー国際空港で、搭乗便にオーバーブッキングが発生したというアナウンスがあった。

 客に向かって平然と「オーバーブッキング」という言葉を使う神経にも驚かされたのだが、その時、航空会社は、「チケットの○○番から××番までの乗客はシンガポール経由のトランジット便にチェンジされる」という旨を空港内放送と電光掲示板で通告してきた。お詫びも何も無く、である。

 私は、その搭乗便変更の該当者だったわけだが、チケット変更のために列に並んでいる20人ほどの人々を見ると、どうやらほとんどが日本人のツアー客だった。

 もともとの便の乗客に占める日本人乗客の比率は、3割ほどに過ぎない。
 にもかかわらず、トランジット便に乗せ換えられる客には、ほとんど全員日本人が選ばれている。
 これは、偶然だろうか。

 おそらく偶然ではない。
 では、差別だったのかというと、必ずしもそうとばかりは言い切れない。
 結果が物語っている。

 つまり、航空会社側からの一方的な搭乗変更通告に対して、抗議したのは、私の同行者(私と同年齢の、英語とイタリア語が達者な編集者兼劇評家だったI氏。既に故人)ただ1人で、ほかの20人ほどの日本人乗客は、いずれも軽く驚きつつも事態を受け容れていた。この「あっさりあきらめる」性質の温順さ(あるいは、単に空港のスタッフに抗議するに足る語学力を身につけていないということなのかもしれないのだが)が評価されて、われわれは、ダブルブッキング処理要員に選ばれていたに違いないということだ。ツアー客なら、まとめて大人数を動かせる。それで日本人となれば言うことなしだ。

 これは、差別といえば差別なのだろうが、日本人の温厚さが評価された結果というふうに見ることもできる。

 たぶん、文部科学省ならびにクールジャパン関係者は後者と見なすことだろう。
 世界に冠たるニッポンの驚くべき美しい民族性のわたくしたち。
 私は当事者なので、断定は避ける。
 文句を言わない人間は、世界中で歓迎されるのだろうとだけ言っておく。

 話をもとに戻す。
 「相互監視による、相互密告社会の到来は、その中で生きる人間の公共心を向上させるのか」という質問だった。
 答えはノーだ。
 相互監視社会の中の人間は、陰険になると思う。
 われわれは、現にそうなりつつある。

 つい昨日(つまり4月の12日)、ユナイテッド航空のケースに関連してなのか、Airbnbのホストが、2月に、アジア人であることを理由にアジア系米国人女性の宿泊を拒否した事例をNBCで報じている(こちら)。

 ネット上には、こういう事件の発生を、トランプ政権の人種や民族への態度を反映したものだとする意見が散見される。

 実際、トランプ大統領が当選した後、アジア系やアラブ系に対するヘイト犯罪が急増したことが報告されている(こちら)。