おそらく否だ。

 監視カメラが増えたことで、犯人が捕獲されやすくなったことはおそらく事実なのだろうし、監視カメラの威圧が犯罪予備軍の人間たちに犯行の自粛を促す効果も期待できるのだとは思う。

 が、映像やインターネットによる相互監視を強化することが、単純にこの社会で暮らす人間のモラルを向上させるのかというと、そう簡単には話は進まないと思う。

 あるタイプの人々は監視に対して疑心暗鬼を募らせるようになるだろうし、そうでない人々も、自分が監視されていることに少なからぬ圧力を感じはするはずで、その圧力の結果は、必ずしも良い方向にだけ作用するとは限らない。

 個人的にだが、私は、内圧の高い組織は暴力への傾斜を強めると思っている。

 これは、先日お会いした津田大介さんが言っていたことだが、昭和の時代の都立高校は、万事締め付けが緩かった。制服も無ければ校則もほとんど有名無実化しており、授業の出席すら問われない放牧場のような場所だった。おかげで、生徒の学力が低迷していた半面、いじめは見たことがない、と、津田さんは、ご自身が通った都立北園高校の例を引きながら、そんな話をしてくれた。

 私自身も、津田さんが通っていた時代の少し前の、似たような都立高校でぶらぶらしていた人間だが、たしかに、いじめは見たことがない。

 要するに、監視の緩さによって助長されるタイプの逸脱もあれば、厳しい監視がもたらす逸脱もあるということなのであろう。

 暴力でも規則でもノルマでも相互監視でも、高い圧力でコントロールされている組織の中の人間は、その圧力を内部に向けるようになる。ブラック企業であれ体育会の運動部であれカルト宗教の教団であれ、強い圧力によって統御された組織の内部では、いじめが起こりやすい。なんとなれば、いじめというのは、圧力が弱い屈曲点に集中するその結果だからだ。

 今回のオーバーブッキング自体、ユナイテッド航空の経営の苦しさの顕在化局面(つまり、常に“過度なオーバーブッキング”気味の予約処理をしていないと経営が成り立たない綱渡りの座席運営を余儀なくされているということ)と言えないこともない。高校の物理の時間に習った通りだ。圧力は、常に弱い部分に集中することになっている。

 とすれば、コンピュータによって選ばれた(←この情報が事実なのか、航空会社の対外アナウンスにすぎないのか、あるいはコンピュータによる選択の根拠が単なるランダム変数を噛ませた結果なのか、あるいは、座席の値段や乗客の属性を加味した上での処理結果なのか、私はいまのところ判断できずにいる)乗客が、アジア系の出自を持つ人間であったことは、偶然ではないのかもしれない。

 偶然でないのだとすると、それは何だろう。
 差別だろうか。

 個人的な話をすれば、私も、2000年にインドでオーバーブッキングに遭遇したことがある。
 その時の状況をお知らせする。