サッカーファンの一部に、試合内容よりもとにかく勝利だけを重視する一派が含まれているのと同様な構造において、おそらく、政権支持層の中にも、国会質疑の内容よりも、結果として野党の追及をかわし切る手腕を評価する人々がいる。そして、その彼らにしてみれば、安倍総理や麻生副総理が、無内容な答弁を繰り返しつつ、まんまと野党の質問を無効化し去っている現状は、痛快ではあれ、屈辱ではないのだろう。

 彼らの見るところでは、答弁の内容が不毛なのは、首相ならびに政権側のスタッフが無能だからではなく、野党側の質問そのものがあまりにも荒唐無稽だからだってなことになる。とすれば、恥ずかしいのは、無内容な答弁を繰り返している政権側ではなくて、その無内容な回答を論破するに至る有効な弁論術を持っていない野党側のタマ切れの方だ、と、まあ、そう考えればそう考えられないこともないわけだ。

 働き方についても、相容れない二つの立場がある。

 すなわち、一方には、しかるべき仕事量をこなして、所属先に対して報酬に見合った利益なり貢献をもたらすことが大切だという考え方があり、その反対側には、とにかく定められた勤務時間の間、働いているように見える体を保ちながら自らの身を職場に存在させておくことを第一とする考え方の持ち主がいるということだ。

 議会人としての所作について言うなら、国民からの付託を受けた選良として、国会で実りのある議論をして、ひいてはその議論を国政に活かすことをあくまでも重視する理想家肌の議員さんもいれば、逆に、どんな法案をいくつ通して、結果として自分たちの政見をどれほど現実の国政の中に落とし込むことができたのかという結果だけが政治家の仕事を評価する唯一の物差しだと考えるリアリストの議員もいる。

 どちらが正しいという話ではない。
 このお話は、つまるところ、わたくしども国民が、いずれの態度を高く評価するのかという選択の問題に帰着するのだと思っている。

 ちなみに、昭和の半ば頃の中学生にダラダラ働くことを教えていた郵便局は、その何十年か後、政府の手で解体されることになった。

 解体という選択が正しかったのかどうか、今の段階では、私は確たる答えを持っていない。
 ただ、なるほどね、とは思っている。

 組織も人も、長い目で見れば、いずれ、過ごしてきた過ごし方にふさわしい末路を迎えることになっている。

 最後に私自身の話をすれば、私は、この3年ほど、毎週木曜日に2本の原稿と2つのイラストを描き上げ、夕方にラジオの仕事をこなすスケジュールで仕事をこなし続けている。