奇妙な話だ。

 百歩譲って、「出発としてウソであっても結果として正しく機能しているのであればOKだ」というこの考え方が、お役人の職業倫理としてアリなのかもしれないということは、半分ぐらい認めても良い。

 しかし、これは、子供に教えて良い「道徳」だろうか。
 私はそうは思わない。
 子供にご都合主義を教えることで、一体誰が得をするのだ?

 長いものに巻かれることがこの国の市民意識の伝統なのだということが、仮に、7割方までは真実であるのだとしても、子供に教える道徳が、「ウソでも有効なら信じておこうぜ」では、学問は死滅せざるを得ない。

 私はアカデミズムの人間ではないが、架空の江戸商人が語る国民総丁稚化教育みたいな運動に甘い顔をするつもりはない。「江戸しぐさ」には、さっさと退場してほしいと思っている。

 最後に、さきほど紹介した「いぬしぐさ」の中に、下っ端役人を恫喝する行政官の様々な手練手管のひとつとして、「ふところこぶし」というワザの解説があるので、ご紹介しておく。参考にしてほしい。

ふところこぶし(ふところこぶし)

後ろ暗い任務をもたらす上役が、柔和な表情とは裏腹に、懐(ふところ)や袂(たもと)の中で拳(こぶし)を握りながら指示することで実行役の下級役人を恫喝するマナー。ふところこぶしをチラつかせながらの司令は、しくじった場合の切腹を暗示するとも言われ、当時の官僚にとっては恐怖の的だった。ちなみに、一度出された布告なり訓令を引っ込めるためには、誰かが腹を切らねばならず、ために、腹を切りたくない役人が多数派を占める部署では、内容を読み取ることさえ困難な中世以来の式目の類が永続的に効力を発揮したと言われる。

 ちなみに、「いぬしぐさ」に関する文献は、その伝承者たる影の官吏集団が虐殺されたため、散逸している。筆者は聞いた噂を受け売りにしているだけなので、真偽を追究して責めるようなことはやめた方が良いと思う。

 

(文・イラスト/小田嶋 隆)

ちなみに、元ネタは
「傘傾げ」に「こぶしうかせ」ですね。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。