今回は「文書」の話をする。

 たいして関心を持たれているようにも見えないこの話題を、あえて持ち出してきた理由は、文書がないがしろにされていることへの世間一般の受けとめ方が、あまりにものんびりしているように見えて、そのことが、言葉にかかわる稼業にたずさわっている人間として残念に思えたからだ。

 ちなみに、私自身は、行政文書が軽視されていることは、官僚が自分たちの仕事への情熱を失っていることのあらわれなのだというふうに受けとめている。でもって、官僚が為すべき義務を果たしていないことは、行政が機能していないということであり、行政が滞っているということは、国政が狂っていることだとも考えている。

 大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、私自身は、事態を過大に申告しているつもりはない。
 私は、この国は、狂いはじめる過程にあると、半ば本気で、そう思っている。

 もっとも、国が狂っているってなことを言い張る人間があらわれた場合、一般的に言って、当該の国家なり国民が狂っている可能性よりも、その旨を言い立てている人間のアタマが狂っている可能性を先に考慮した方が良い。してみると、狂っているのは私の方なのかもしれない。うむ。その可能性は認めなければならない。

 防衛省で、陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が「発見」された。
 「発見」は、普通は古文書や歴史的文書に使われる名詞で、リアルな行政文書や記録に対して使用される単語ではない。

 が、4月3日の日経新聞の朝刊は
《防衛省、「不存在」の日報発見》
 という見出しを打っている(こちら)。

 「おい、発見って、防衛省は古墳か何かなのか?」
 「まあ、庁舎の地下に秘密のダンジョンがあってもオレは驚かない」
 「どうせ天の岩戸ぐらいな名前つけて自衛隊OBの軍事オタクがコレクションを秘蔵してる程度だと思うけど」
 「あとはイシバさんのコスプレ衣装をおさめたワードローブな」
 「そこに日報やら交換日記やらを隠蔽してたってわけか?」
 「まあ、ガチムチの組織だけにそれぐらいの秘密の花園は許してやろうぜ」

 もちろんだが、日報は地下迷宮の壺の中から発見されたわけではない。
 ごく当たり前な保管場所から出てきたのだと思う。
 ただ、なぜなのか、誰も気づかずにスルーされていたということなのだろう。

 ともあれ、「『不存在』の日報」という、日経の見出しにある表現は、なかなか皮肉の効いた言い方だ。
 ほとんど哲学的ですらある。

 が、この見出しを考案したデスクは、おそらく皮肉を言いたかったのではない。単純に「これまで国会答弁などを通じて公式に存在しないとされていた日報が、その不存在を語った国会答弁から1年以上の年月を経たいまになって突然現れた」という、このたびの経緯を短い言葉で伝えるために、「不存在の日報」なる禅問答じみた用語法を採用せざるを得なかったのだと思う。