寄付をしていないのならしていないで、普通に昭恵夫人なり夫人付きの官僚なりの口から説明(記者会見になるのか、参考人ないしは証人として国会で証言することになるのかはともかくとして)させれば良いことだし、万が一寄付をしていたのだとしても、その旨を正直に申告すれば、それほど大きな問題にはならなかったはずだ。

 というのも、寄付自体は違法ではないし、そのことで政権が飛ぶような話ではない。

 あの非常に評判の良くない学校法人に個人的に寄付をしていたということになれば、当然、首相個人の印象が悪化することは避けられないとは思う。

 でも、そのことを言うのなら、既に、首相夫人が新設するはずの小学校の名誉校長に就任し、首相ご自身も一度は講演を引き受けていることで、十分に印象をそこなっている。この上、寄付の有無が致命的な問題になるとは思えない。

 ところが、首相は、寄付の話を否定する流れで、土地取引への関与が発覚したのであれば、総理を辞めるということを口走ってしまった。
 だから、こんな騒ぎになっている。

 一般のテレビ視聴者は、個々のやりとりの中で争われている言った言わないの事実関係や、私人公人の線引きの細部をつつき回す報道そのものに注目しているのではない。

 視聴者が森友劇場に魅了されているのは、ムキになって否定したり白々しく知らぬ存ぜぬを繰り返したり露骨に隠蔽したり資料を廃棄したりしている側と、重箱の隅をつつきにかかっている追及側の感情をむき出しにした争い、それ自体が面白いからで、それというのも、そもそも政府の側の隠蔽と強弁に、感情的な反発を抱いているからだ。

 冒頭で指摘した通り、このニュースは、全体として感情的な反応に終始しているところのものだ。

 というよりも、森友学園をめぐるあれこれは、報道に限った話ではなく、その発端から結末に至るまでのほとんどすべての出来事が、あからさまな感情の発露だったのかもしれない。

 大切なのは、いまわれわれが熱中している扇情的な報道の根っこのところにある「感情」を呼び覚ましたのが、政権の中枢にいる人たちであることだ。このことはつまり、テレビのしつこさと疑り深さと下世話さと、揚げ足の取りっぷりの醜さは、そもそも政府の上の方にいる人たちが質問者をバカにした態度と、国民への説明を鼻で笑うマナーから派生したものだということでもある。

 これらの事情に加えて、さらに、縁故主義(ネポティズム)にまみれて見える行政の進め方の怪しさが、テレビ視聴者の間に広がる「感情的」な反応の取水源になっている。

 私個人は、なるべく感情的に振る舞わないように心がけようと思っている。
 ただ、感情的に判断することからは逃れられそうにない。
 というのも、感情を抜きで評価してみると、この騒動には中味が無いからだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

上が無茶な“正論”を通して、現場の“運用”が苦労する。
大変そうだね、と、自分と二重写しで見ているような気もします。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。