まず触れておかなければならないのは、「敬語」の問題だ。
 佐川氏があの日のやり取りの中で何度も繰り返していた

 「その点につきましては、さきほどから何度も繰り返し申し上げておりますとおり、まさに刑事訴追のおそれがあるということでございますので、私の方からの答弁は差し控えさせていただきたいというふうに思っておるのでございます」

 式の言い回しからわたくしども平均的な日本人が受けとめるのは、

 「過剰な敬語を使う人間のうさんくささ」
 「厳重な丁寧語の壁の向こう側に隠蔽されているもののけたくその悪さ」
 「させていただく敬語の気持ちの悪さ」
 「敬語の鎧で自らを防衛せんとしている人間の内実の脆弱さ」

 といったほどのことだ。
 ついでに申せば「お答え」「お示し」「ご理解をしてございます」あたりの耳慣れない言い回しを聞かされるに至っては、  
 「バカにしてんのか?」
と、気色ばむ向きも少なくないはずだ。

 「木で鼻をくくったような」
 という定型句が示唆するところそのままのあの種の答弁は、最終的には、国会という議論の場の存在意義をまるごと疑わしめることになる。その意味で非常に破壊的な言葉でもある。

 この世界は「売り言葉に買い言葉」式の単純な呼応関係だけでできあがっているわけではない。反対側には「ざあますにべらんめえ」という感じの反作用があって、少なくとも私のような場末生まれの人間は、過剰な敬語を浴びせられるとかえって粗雑な返答で報いたくなる傾きを持っている。ともあれ、佐川氏の敬語の過剰さは、敬語という用語法そのものへの嫌悪感を掻き立てかねない水準に到達していた。このことは強調しておきたい。

 敬語は、基本的には対面する他者への敬意を表現する用語法だ。
 が、そうした敬意を運ぶ船としての一面とは別に、敬語は、個人が社会から身を守るための防御壁としての機能や、本音を隠蔽するカーテンの役割を担ってもいる。

 キャリア官僚のような立場の人間が振り回すケースでは
 「あなたと私は対等の人間ではない」
ということを先方に思い知らせるための攻撃的なツールにもなる。

 いや、佐川前長官が、国民にケンカを売っていたと言いたいのではない。

 私は、敬語を使っている側の人間が、攻撃的な意図でそれを用いていなくても、敬語を聞かされる側の人間が、その言葉の堅固な様子から、「冷たさ」や「隔絶の意思の表明」や「人として触れ合うことの拒絶」や「形式の中に閉じこもろうとする決意」を感じ取るのは大いにあり得ることだというお話をしている。その意味で、少なくとも私個人は、あの日の佐川前国税局長官の過剰な敬語の背後に、彼が必死で防衛しようとしているものの正体を忖度せずにはいられなかった。