思うに、もし仮に、ベッキー&ゲスの不倫交際について、複数のメディアが別々の取材ルートで取材をすすめていて、それぞれ独自の視点から記事を書いていたら、ここまでひどい(つまり一方的な)状況にはならなかったはずだ。

 ソースが一つしかないということは、事実確認の方法が一つしか無いということでもある。とすれば、それは、「ウラ」を取れないということでもあるし、同業他社のメディアが批判的な記事を書けないということでもある。

 日本中のテレビとラジオとウェブメディアと雑誌と新聞が、雁首を揃えて、「週刊文春の取材によれば」という接頭語を戴いたカタチでしか記事を配信できない状況では、誰も、その週刊文春の取材に、重大な疑義(この場合は、他人の通信の秘密を犯しているということ)があることを指摘できない。

 結局、ネタを貰っているカタチの他メディアは、文春に対して強いことは言えないわけで、記事の内容についてはもちろん、取材の手法についても、彼らは意見さえできない。

 なんとなさけない立場ではないか。
 取材していないメディアほどみっともないものはない。
 彼らは、餡を自作していない和菓子屋と同じほどには無力だ。
 ただ、店頭に商品を並べている下請けの販売業者に過ぎない。

 今回の、私信の暴露は、たぶん、被害者であるベッキー嬢なりゲス氏なりが裁判所に提訴すれば、立件できるスジの話だと思う。

 立件することが、総合的に考えて彼らの利益になるのかどうか(つまり、多少賠償金が取れるのだとして、それで不倫を犯した人間が開き直ったと見られることのマイナスを埋め合わせられるのかどうかということ)は、大いに疑問だ。

 が、私は、事態を正常化するために、ぜひ提訴してほしいと思っている。
 ゲス訴訟。
 悪くない見出しじゃないか。
 ん? とすれば、勝ち目は大いにあるぞ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

いま「わるいこと」を決めるのは
知性か、反知性か、それとも文春か?

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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