日本の勤労者が残業を回避できないのは、ひとつのタスクをチームで請け負う前提が守られているからだという話を聞いたことがある。

 つまり、仕事が個人に属しているのではなくて、仕事の方に個人(それもチームで)が属しているから、自分だけの判断で仕事のペースを決めたり、加減することが難しいというのだ。

 実際、自分が休んだら職場の全員に負担がかかる状況では、残業の回避は個人の労働観の問題というよりも、その人間のコミュニケーション作法の問題になってしまう。

 人間関係を大切にする人間は、簡単には帰れないことになる。つまり、自分の私生活を防衛するために仕事仲間の私生活を踏みにじらないといけないみたいな設定になっているとしたら、これはマトモな日本人であればあるほど、定時退社は難しくなる。

 つい3日ほど前、ツイッターに以下のような投稿をした。

《若い人たちが先に進めるのは、3年か4年ごとに卒業式がやってきて強制的に環境がリセットされるからだと思う。環境が新しくなれば、いずれ中味も新しくなる。同じ連中とツルんでいたら人間は変われない。20年同じ会社で働いているオヤジが腐るのは、淀んだ水の中で暮らしているから。》(こちら

 この書き込みには、意外な反響があって、現在のところリツイート数が5000件を突破している。

 ちょうど卒業式の時期だったということもあるのだろうが、私は、リツイートされた理由は、日本人の多くが、多かれ少なかれ自分たちが「場」に支配されていることを強く自覚しているからなのだろうと考えている。

 「働き方改革」の問題は、「働き方」や「労働観」や「生産性」の問題である以上に「場」の問題だ。

 職場という「場」の持っている巨大な呪縛が、そこで働く人間たちに残業を強いている。

 残業時間が減る代わりに、職場の居心地を失うのだとしたら、他の場を知らない中年以上の世代は大反対するはずだ。

 逆に言えば、職場の外に有効な「場」(友人、家庭、趣味のサークルなどなど)を持っていない勤労者は、自動的に残業に依存するようになるのだろうし、職場は職場で、残業によって従業員から職場以外の「場」を奪うことで、彼らの忠誠心を確保しようとしているのかもしれない。

 ともあれ、こんな現状をもし本気で打破したいなら「自分にとっての所属時間が、わりとすぐ終わる場所」に、会社を変えてしまうしかない。学校に通う子供たちがそうであるように、3年か4年ごとに卒業式がやってくるのであれば、日本の大人も、もう少し自分本位の振る舞い方ができるようになることだろう。

 うん、山ほど反論が来るのは分かりきっている。だが、「会社なんて、そんなもんだ」と思えなければ、おそらく「働き方改革」だろうが「働かせ方改革」だろうが、きっとうまくいかない。まともな会社で1年持たなかった私だから言える真実だ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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