体罰を根絶するためには、まず最初に教育者による「体罰」が、一般人による「暴行」とは別種の、一定の愛情と教育効果を伴った動作であるかのごとき類推を許す「体罰」という用語を駆逐せねばならない。

 でもって、たとえば「暴力教育追放運動」であるとか「対生徒暴行摘発改革」といった、より目的をはっきりさせたタイトルの取り組みを開始せねばならない。

 「働き方改革」は、体罰問題における「殴られる側」に焦点を当てた言い方で、その意味では「殴られ方改革」で、体罰を根絶しようとする試みに近い。
 真に改革を望んでいるのなら、「殴っている側」を摘発しないといけない。

 残業問題で言うなら、残業を強要している側の人間やシステムを変えるべきだということで、その場合、やはり改革のスローガンは、「人員配置改革」ないしは「職場改革」(いっそ「職馬鹿威嚇」でも良い)の方がずっとわかりやすい。

 さて、言葉の問題を措くとしても、100時間という数字は、やはりどこからどう見ても圧倒的に狂っている。

 決定の経緯もどうかしている。
 報道によれば、経団連が「月100時間」、連合が「月100時間未満」を主張して譲らずに対立が続いていた状況を踏まえて、安倍首相が、13日に開催された、首相、経団連、連合の三者会談の中で、両トップに

 「ぜひ100時間未満とする方向で検討いただきたい」

 と要請したということになっている。
 で、経団連と連合の両首脳は会談後、記者団に対し、

 「首相の意向を重く受け止めて対応を検討したい」

 と口をそろえた、てなお話になっている。
 なんという予定調和というのか出来レースというのか稚拙なプロレスというのか茶番劇であろうか。

 それ以前に、「100時間」と「100時間未満」を争っていたことになっている労使双方による争点の、なんとみみっちくも白々しいことだろう。

 ちゃんちゃらおかしくて笑うことすらできない。

 そもそも労働者の時間外時間については、労働省告示「労働時間の延長の限度等に関する基準」によって、その上限が1カ月の場合は45時間、1年の場合は360時間と規定されている。

 ということはつまり、月100時間の残業は、その着地点からしてすでに法令違反だ。

 とすると、このたびの合意は労働側と経営側の偉い人たちが集まって話し合いを重ねた結果、現行法で許されている残業時間の2倍以上のところで線を引くプランに労使双方が賛成したというお話になるわけだが、いったいこれはどこの世界のディストピア小説の一場面であろうか。

 違法な残業で職場を運営することに労使が合意したということはつまり、間違っているのは法律の方で、現実はあくまでも法律とは無縁な場所で動いているということなのだろうか。

 この手の話題に、法令遵守一点張りの理屈を持ち込むのは、あんまりスジの良くない態度だ。