今回は、森友学園の周辺で起こった出来事について、私が寝たり起きたりしながら考えていたことを書き起こしておくつもりでいる。

 結論を提示したり、分析を試みるための原稿ではない。
 どちらかといえば、ウィルス感染症の諸症状を列挙するみたいなまとまりを欠いたテキストになると思う。

 われわれの病気の原因が那辺にあって、どうすれば健康を取り戻せるのかは、簡単には言えない。
 しかし、ただ、見たままに症状を伝えることはできる。

 というのも、われわれは、もう長い間、特定の病に冒されていて、われわれのやること為すことのほとんどは、症状と区別がつかなくなっているからだ。

 森友学園をめぐる一連の騒動を、メディアは、いまのところ、もっぱら、国有地が不当に安い価格で民間に払い下げられた事件として報道している。

 たしかに、違法行為として告発するつもりなら、そこのところが本丸になるのだろう。
 贈収賄なり背任なり政治資金規正法なりを視野に入れて立件する場合でも、本筋は、やはりお金の流れだ。

 今後、引き続き本件を取材するつもりでいる人たちは、とにかく、事件に関連して出てきた金額を、ひとつずつチェックして、その金額の出どころや根拠について、粘り強くウラを取って行く作業を続行することになるのだと思う。

 すべての金額や数値について、関係者の証言と裏付けを確認して行けば、いずれ、どこかのほころびから、真相に迫る証言が得られるはずだ。
 報道に携わる人々には、そこのところの謎の解明を期待している。

 ただ、一ニュース視聴者である私の目から見ると、このニュースの眼目は、必ずしも、お金の流れだけに限らない。
 むしろ、お金以前の、人々の関わり合い方のだらしのなさの方が、私には印象深い。

 とにかく、金の流れを云々する以前に、すべての関係者が、あらゆる事態を曖昧に処理しているそのデタラメさが、あまりにも突出している。
 なにしろ、そもそも土地の売買の記録が残っていないのである。
 こんなべらぼうな話があるだろうか。

 このほか、見積もりの詳細も、ゴミがどことどこにどれだけあったのかという記録も、工事の経過も、ほとんど何一つ記録らしい記録が出て来ていない。

 たとえば、去る2月24日の衆院予算委員会で、財務省の佐川宣寿理財局長は、共産党の宮本岳志氏の質問に答えて、昨年6月の売買契約を巡る売り主の近畿財務局と学園側の交渉や面会の記録が、既に廃棄されていることを明言している。