軋轢を嫌う傾向は、他人に迷惑をかけることをいましめ、空気を読まない人間を拒絶し、仲間と気まずくなることを恐れる心情から派生しているところのものだ。

 私たちは、いきなり政治的な話題を振ってくる人間を警戒する。
 先方の主張に賛同しないからではない。

 現代の日本人が、政治を拒むのは、それが「分断をもたらす」話題であり、さらに言えば、参加する人々を互いに「バカ」呼ばわりさせずにおかない、爆弾リレーに似たゲームであることを知っているからだ。

 政治活動に熱心な人たちは、政治に無関心な人々の思考力を低く見ている。
 この傾向は、右でも左でも変わらない。

 彼らは、対立する陣営の人間を蛇蝎の如くに憎んでいるが、その一方で、無党派層に対しては、上から目線で対応している。

 「わかってない人たち」
 「ものを教えてあげないといけない対象」

 ぐらいな扱いだ。

 ところが、無党派層は無党派層で、政治的な人間を見下している。
 彼らにとっては、右であれ左であれ、政治に熱心だというだけで、もう人間としてひとつ格落ちの存在になる。というのも、政治に関わることは、賭博や酒やセックスにのめり込むことと同様、自制心の欠如で説明されるべき事態だからだ。

 てなわけで、どっちにどう転んでも、政治が話題になる場所では、人々は自分と同じ考えを抱かない人間を軽蔑ないしは嫌悪することになっている。

 だからこそ、多くの人々は、平和な環境に政治というタームが持ち込まれることそのものを拒絶する心情を抱くにいたる。

 これは「保守化」でも「右傾化」でもない。
 どちらかといえば、「均質化志向」というのか、「同調至上主義」みたいなものだ。

 というよりも、「みんなが仲良く、気まずい思いをしないで過ごす空気」を最優先に考えるコミュニケーション哲学は、平成から次の時代に至る基本的な時代思潮になるはずのものだと思う。

 とはいえ、その同調の重視による政治忌避がもたらす圧力は、結果として右傾化の結果とそんなに変わらない未来をもたらすかもしれない。

 どういうことなのかというと、「みんなが仲良く気まずい思いをせずに過ごすこと」を至上の価値として運営される社会の行き着く先には、おそらく「進め一億火の玉だ」が待っている、ということだ。

 同調を重んじる人々は、当面の選択として自分の内心の主張がどうであるのかとは別に、とりあえず多数派に与することを選ぶ。と、そういう空気の中で生まれてこのかた一度も他人と口論したことのない人間が大量に造成されると、その彼らは、世間の風潮に決して異を唱えることのできない大人に成長するかもしれない。

 心配だ。
 もう一回トルシエを招いて、文部科学大臣あたりのポストを任せることが可能なら、赤信号を渡れる子供たちを育成できると思うのだが。

 いや、もちろんジョークだぞ?

(文・イラスト/小田嶋 隆)

我が心はICにあらず』からの読者の私から見ますと
苦言の理由は「あの日に帰りたい」だと思います……。
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 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

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