「つまり、議論ができないってことか?」

「そういうわけじゃない。でも、論争とか口論とか叱責とか罵倒とか、その種の精神的負担を強いるコミュニケーションを適用しちゃいけないコたちが確実にいるということだよ」

「どうしてさ」

「どうしてもこうしてもないよ。摩擦とか軋轢とか圧力とか反発とか対立みたいな人間関係を全面的に受け容れない育ちの人間が現実に存在している以上仕方がないじゃないか」

「そんなことで社会生活がやっていけるのか?」

「ははははは。おまえから社会生活なんていう言葉を聞くとは思ってなかった。おまえは社会生活をやっていけているのか? おまえは社会人なのか?」

「いや、オレは別に若いヤツらをシバき倒して鍛え上げるべきだとか、そういうことを言っているわけじゃない。ただ、オレ自身はそんな若いヤツは見たことないってだけだよ」

「それはおまえが人の上に立って仕事をしたことがないってだけの話だよ」

 このお話には若干補足が必要だと思う。

 というのも、上記の会話文の中で軋轢を嫌う若者たちのマナーを嘆いている私たちの世代の男たちは、実は、30年前には、軋轢を嫌う意気地なしの小僧として、上の世代のおっさんたちに盛大に嘲笑された過去を共有しているからだ。

 私たちより5年から10年年長の、いわゆる「団塊の世代」は、摩擦と軋轢と対立と自己主張と徒党と抗争と弾圧と反抗がなによりも大好きな人たちだった。

 こういう書き方をすると、いくらなんでも乱暴な決めつけだと思われるかもしれないが、団塊の10年後ろを歩いていた若者であった私の目から見て、彼らがそんなふうに見えていたことが、動かしようのない事実である以上、この程度の言い方は勘弁してもらいたい。

 1970年代に新宿のゴールデン街や歌舞伎町を歩いていると、路上で殴り合いをしているおっさんたちを見かけることは決して珍しいなりゆきではなかった。これは誇張ではない。実際に私が大学生だった1970年代の後半、渋谷や新宿の街頭は、殴り合いにかぎらない各種の対人トラブルの温床みたいな場所だった。

 その摩擦と軋轢のエキスパートである彼らに比べれば、私たちは、いきなり見知らぬ人間に論争をふっかけることもしなかったし、わざわざ徒党を組んで対立するグループの若い連中を襲撃しに行く習慣も持っていなかった。

 というよりも、前の世代の対人コミュニケーションの直截さを見せつけられて、その野蛮さに辟易していたからこそ、われわれは万事に微温的であるべくつとめていた次第なのである。

 その私たちを、当時のマスコミは、「シラケ世代」あるいは「三無主義」の若者たちと名付けた。三無主義とは、無気力、無関心、無責任の3つの「無」を総称した言葉で、後に、これに無感動の無を加えて、四無主義世代と呼ばれることもあった。とにかく、私たちは、そういうおとなしい、目立たない、歯ごたえのない、数の少ない世代の若者だった。

 ちなみに1975年時点の人口ピラミッド(こちら)を見ると、当時15~19歳だった私たちの世代が、団塊の世代(24~29歳)に比べて、いかに人数が少ないかがわかる。