結局のところ、あらゆる組織が何らかの理不尽を内包している以上、大切なのは、個々の組織の理不尽を指摘したり改革したり改善したり修正することではない、と、リアリストを自認する人々はそういう順序でものを考える。

 むしろ、組織の中で活動するにあたって個人が身につけておくべき心構えは、理不尽に適応することだ。自分が直面している理不尽を看過し、黙殺し、あるいは身をかわし、ひたすら耐えるなりして、とにかくその理不尽と対決しないことが結局は自分を守ることになるというわけだ。

 私は、高校では陸上部の部員だったが、陸上競技は、チームスポーツでないという点で、ほかの運動部の部活とは性質の違う環境だった。

 というよりも、私は、個人競技である陸上部の「部活っぽくない」ところに惹かれて入部した生徒だったわけで、そもそものはじめから、部活を嫌っていた。

 つまり、私は、高校生の頃から、一貫して、部活的な人間ではなかった。

 具体的には、協調性やチームスピリッツみたいなものはハナで笑っていたし、リーダーシップも皆無なら、後輩の面倒を見るテの趣味もなく、自己犠牲の精神にいたっては心から憎んでさえいたということだ。

 そんなわけなので、サラリーマンは半年しかつとまらなかった。

 私は、自分が部活を拒絶したことと、企業社会に適応できなかったことを、無関係なふたつの出来事であったとは思っていない。

 自分は、部活に適応できない人間だったから、会社員がつとまらなかったのだと、半分ぐらいはそう思っている。

 逆に言えば、部活が、会社員としての資質を伸ばす上で有効な場所だということを、私自身が、半ば信じているということでもある。

 部活を否定することは、日本の企業社会のある部分をそのまま否定することを意味している。

 だから、部活をめぐる議論は簡単には落着しない。
 躍起になって部活を批判する人々がいる一方で、他方には、その意見に決して耳を傾けない人たちがいる。

 最終的に、この問題は、部活それ自体のあり方を超えて、わたくしども日本人の集団性についての見解の対立を反映した論争に発展することになるはずだ。

 私は、短距離走の選手だったので、練習スケジュールは自分で決めていた。
 部活から学んだことは、とにかくむずかしいことを考えずに、思い切り走りきることだった。

 苦手なものから走り去ることを繰り返していれば、誰であれ、いずれたどりつくべき場所に到達する。

 私はいま、そういう場所にいる。
 他人の部活については、勝手にしやがれと思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

小田嶋隆、2年ぶりの新刊! アル中時代を正面から振り返る。
……しかし、今回の話のあとでこの本の紹介って、何だか。

 小田嶋さんの新刊が久しぶりに出ます。本連載担当編集者も初耳の、抱腹絶倒かつ壮絶なエピソードが語られていて、嬉しいような、悔しいような。以下、版元ミシマ社さんからの紹介です。


 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)