法律やルールや基準値とされるものの中に、時に妥当性を欠いたものが含まれていることがあるのは事実だ。40年ルールにしても、当時の記録からは「仮置きの数字」という印象がうかがえる。
 が、仮に妥当でないのだとしても、運用でなし崩しに変わっていくのはまずい。

 「科学的根拠がないから」「現実的じゃないから」「あほらしいから」という理由で、ルールの特例を常用して良いのなら、それはもうルールではない。誰も制限速度を守って道路を走る必要は無いし、不味いラーメンを食べたと思う客の中には、対価を支払うことを拒否する者が出てくるかもしれない。というのは極端にしても、またもや面倒な議論や証拠集めをえんがちょしている雰囲気が濃厚だ。

 ルールが間違っていると思うのも、主張するのも全くかまわない。声が大きいのも地声なら仕方ない。だが、論拠を示さずショッキングな結論だけ述べることで、議論を回避しつつ攻めていくのはそれこそルール違反だろう。ルールがおかしいなら、ルールを変えるためのルールを守らなければならない。当たり前の話だ。このままだと、電源事情に鑑みて、特例で稼働延長を認めたのか、それとも「40年」という決め事がおかしかったのかが、どんどん曖昧になっていくと思う。

 原発関連の話題が避けられるもうひとつの理由として、反原発派の中の極端な一部の人々が金切り声を上げることとは別に、原発を推進しようとしている人々の極端な一部の人の言いざまが、あまりにも醜いことがある。

 こういう議論を見ていると、根気の無い人はもちろん、普通の人は関わろうとする気力を失う。
 で、結果として、強力な意思を持った人間だけが声を上げ続けることになり、議論は、ますます近寄りがたいものになる。
 困った展開だ。

 最後に、東電が「メルトダウン」を過小評価していた件についても簡単に触れておく。
 まず、こんな重大な見落としが、事故から5年もたってはじめて「発見」されているということに驚く。

 記事によれば、

《東電は「(早期に)データの持つ意味を解釈し、炉心溶融を公表すべきだった。事故を矮小(わいしょう)化する意図はなく、公表をしないよう外部からの圧力もなかった」と説明。基準を見過ごしていた背景や理由について、第三者を交えた社内調査に乗り出すという。》

 ということになっているが、事故を矮小化する意図もなく、公表をしないよう外部からの圧力もなかった状態で、どうして基準を見過ごしたのかについて、これから調べないと分からないという説明も、にわかには了解しがたい。いったい、誰に何を説明しているつもりなのだろう。

 一方には、明らかに書いてある文字を見落としたと言い張っている人たちがいて、さらには、自分たちで決めたルールを「科学的根拠がない」という理由で無視しようとしている人々がいる。で、その彼らへの不信をこじらせるあまり、何の罪もない被災地の人々の復興への努力に泥を塗ろうとする人々がいる。

 …まあ、うんざりするのも仕方がないと言えば言える。
 私自身、かなりうんざりしている。

 でも、この際、うんざりするのはやめにして、たまには原発について思い出して、できれば、見つめなおしたり考えなおしたりすべきだと思う。
 というのも、不幸にはわりと律儀なところがあるからだ。
 あいつは、たぶん、うんざりしている人間のもとを訪れることに決めている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

記事末尾に修正履歴を入れる度に心が痛みます。
今回も無傷で済みますように…。

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■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「未来視意支援センター」としていましたが、正しくは「未来支援センター」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2016/02/26 14:30]嗚呼。やはり見逃してしまいました。申し訳ございません。