つまり、食卓の話題に直腸検診のエピソードを持ち出す態度がマナー違反と見なされるのと同じように、オフィスの昼休みや茶道教室の懇親会の席で原発への賛否を語り出す人間は、既に「えんがちょ」なのである。

 では、どうして原発は、「えんがちょ」になってしまったのだろうか。
 東電ならびに原子力ムラの闇の勢力が原発をNGワードに指定するべく周到な地下宣伝活動を繰り広げてきたからだろうか。
 私はそうは思っていない。

 そんな七面倒臭いことをするまでもなく、事なかれ主義が支配する世界では、加熱しすぎた話題は、ごく自然に避けられることになっている。

 であるから、倦怠期をはるかに過ぎた夫婦の間で10年前の不貞が触れてはいけない話題になっているのと同じように、紛糾が予想される論題は、重要であればあるほど、かえって議題にのぼらなくなる。夫婦が互いの不貞を話題にしないのは、それが過ぎ去った問題だからではないし、解決した事件だからでもない、重要でないと考えているはずもないし、気にしていないのでもない。彼らは、いつも気にしていて、思い出す度に腹を立てている。しかしながら、気にしていて腹を立てているからこそ、話題にすることができない。なぜなら、気になったり腹が立ったりする以上に、なによりもまず心の底からめんどうくさいからだ。

 原発の話題も同じだ。

 その話題が出ると、必ずギスギスしたやりとりになることは、既に何度も経験済みでよくわかっている。
 議論が平行線をたどることも知っている。

 事実の検証だったはずの話がいつしか人格攻撃の応酬に移行するであろうことも、議論が深まれば深まるほど党派的な思惑が先行した断定的なスローガンが連呼されるに決まっていることも承知している。

 で、時間が浪費され、何の結論も合意も得られない中で、互いの憎しみと軽蔑だけが増幅される結果に終わることもあらかじめ予測がついている。
 だとしたら、誰がいまさら原発の話なんか持ち出すだろう。

 ……てな調子で、原発をめぐる議論がすっかり低迷している2月のとある一日、福井・高浜原発の1、2号機が原発の新しい基準に適合するというふうに認定されたという記事が配信された。

 なんでも、運転開始から40年を経過している原発が、適合を認定されたのははじめてのケースなのだそうだ(こちら)。

 同じ日の河北新報は、東京電力が、福島第1原発事故の状況をめぐり、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」が起きていることを事故直後に公表できたにもかかわらず、過小に誤った判断をしていたと発表した旨を知らせる記事を掲載している(こちら)。