無論、お笑いは、いまも昔も「反抗」ないしは「逆張り」を旨とする芸能ではある。

 しかしながら、その「反抗」の対象が、「国家権力」や「現政権」であるケースはごく稀で、でなくても、現代のお笑いが風刺の対象としてロックオンしているのは、もっぱら「いい子ちゃん思想」や「偽善的な建前」であり、最近では「ポリティカル・コレクトネス」あたりが格好のターゲットになっている。

 もう少し踏み込んだ言い方をすれば、現在お笑いが攻撃の対象としているのは、ヘタをすると、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という日本国憲法の三大原則にあたる思想だったりする、ということでもある。

 彼らは、インテリくさい建前が大嫌いなのだ。
 「そんなん、きれいごとやんか」
 「ガッコでベンキョできた人らの言う理想っちゅうこっちゃ」
 であるからして、彼らの世界で言う
 「戦っているネタ」
 や、
 「ぶっこんできてる笑い」
 や、
 「ギリギリで勝負してる芸」
 の、「戦い」や「ブッコミ」や「ギリギリ」の相手は、「権力」でもなければ「体制」でもない。当然だが、「首相」でも「政権与党」でもない。

 彼らの戦う相手は、むしろ、政権の敵だったりする場合が多い。

 残酷でもあれば不謹慎でもあり、時には下品でも無作法でもあり、なおかつ「ホンネ」を恐れずに表出する人間である彼らが戦っているのは、世の「良識」であり、世間の「きまりごと」であり、いい子ちゃんたちが大切にしている「素敵ぶったマナー」だ。

 それらを嘲笑し、揶揄し、踏みにじり、ケチョンケチョンにやっつけることが、すなわち「戦ってる」ことであり「ギリギリの笑い」を追求しているってなことになる。

 もっとも、私は、松本氏が、政権をバックアップするために、意図的にあのような発言をしているとは思っていない。安倍総理と会食したからとかいった理由で、彼が政権にとって有利な話を選択的に選んでいるとも考えない。

 日本のお笑いの世界の人間がおおむね親政権的に見えるのは、別に官邸が世論操作のために大衆文化を使嗾しているからではないし、芸人が権力に迎合しているからでもない。単に、政権のバックグラウンドにある思想と、お笑いの世界を支えている感覚が大筋において似通っているからに過ぎない。

 具体的にいえば、同じように非インテリ的で反リベラルで本音至上主義的な人間たちである彼らが同調するのは、当然のなりゆきだということだ。

 大切なのは、現政権を動かしている思想と当代一流の人気コメディアンの価値観が一致しているのは、必ずしも癒着とか迎合とかではなくて、彼らのアタマの中にある考えは、われら現代の日本人の主流をなすど真ん中の思想であるということだ。

 ということは、これは、正しいとか間違っているとか、そういう話ではない。
 われわれは、善し悪しはともかくとして、こういう時代に立ち至っているのだ。

 なんとも、オチがつけられない。
 そういうのは当代一流の芸人に任せるべき、ということだろうか。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

「勝ち負けからなんとか離れないと生きるのが辛くなるばかりだな」
と、五十の坂を転げ落ちながら考えています。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。