過剰に恐れることが科学的でないのと同様に、危険を過小に見積もることも科学的な態度とは言えない。その意味で、国の基準である1ミリシーベルトという除染目標値を「科学的根拠が無い」と決めつけた丸川大臣の言葉は、科学的な取り組み方とはほど遠い断言だったと評価せざるを得ないし、その発言に至る判断の背景に介在していたと思われる「反放射能派」に対する蔑視に至っては、科学的な態度どころか、一般人としての礼儀すら踏みにじっていると思う。

 さて、相前後して起きた二つの政治家の発言をめぐる事件は、その重大性にふさわしい伝えられた方をしただろうか。

 結果は、報道量において、丸山案件が圧勝している。
 理由はたぶん、丸山発言の方が、やらかし感においてわかりやすく、記事として書きやすく、また、若手の政治記者がやっつけるタマとしても手頃だからだ。

 「黒人」「奴隷」「大統領」「51番目の州」という、中学生でもピンと来るキーワードを粗雑に散りばめた丸山議員のお馬鹿な演説と、その間抜けな演説を思うさまにやっつけた記事の文面は、ランチの話題にぴったりの手軽さと、他人の愚かな行状を笑い飛ばす爽快感に溢れた爽やかな読後感を与えてくれる。

 それに比べれば、丸川大臣のネタは、「科学」や「放射能」や「シーベルト」という厄介な話題を含んでいる。間違っても雑な解説はできないし、ツッコみ方を間違えるとこっちがヤケドをしかねない。

 といって、正確を期して慎重に書いた科学関連の記事は、慎重であるがゆえに読者の関心を惹きにくい。

 でも、どちらがニュースとして重要なのかは明らかだ。

 考えの足りないタレント出身の議員がウケ狙いをたくらんだあげくに見事にスベっただけの自損事故めいた失言騒動よりは、国民の安全と豊かさに関して致命的な次元で左右する環境ならびにエネルギー政策を担う環境大臣による、国策を愚弄しにかかる発言の方が、どこからどう考えても重大であるに決まっているのだが、メディアは、よりわかりやすく、よりページビューが稼げそうで、より書きやすい方の記事を選んでいる。これが頽廃でなくてなんだろうか。

 もうひとつ、ほかならぬメディアに向けて吐かれた暴言がある。
 高市早苗総務大臣による、「停波可能性」発言だ。

《--略-- (2月)9日の衆院予算委員会。民主の玉木雄一郎氏が「憲法9条改正に反対する内容を相当時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるのか」と問いただした。高市氏は「1回の番組では、まずありえない」としつつ、「私が総務相の時に電波停止はないだろうが、将来にわたってまで、法律に規定されている罰則規定を一切適用しないということまでは担保できない」と述べ、重ねて電波停止を命じる可能性に言及した。--略--》(こちら