北朝鮮が複数の核弾頭を所有していることや、その核弾頭を送り届ける各種のミサイルを装備していることは、なるほどたしかに恐ろしい前提条件ではあるものの、それでもなお我々をして、日々の仕事や生活の際の折々に思い出すほどの、差し迫った脅威ではない、と感じられてきた。

 これは「砂に頭をつっこむダチョウ」的な、見るべき脅威から目を逸らす、臆病者の台詞だと言われるかもしれない。しかし、軍事オタクでもなければ外交通でもない市井の一ニュース視聴者にとって、ミサイルの飛距離や核弾頭の数は、関心の外にある。

 より正確に言うなら、ミサイルや核のようなハードコアなアイテムは、素人の理解を超えていて、仮に分析してみたところでどうせ間違った解答しか導き出せないということだ。

 と、素人の我々は、どうしても核のボタンを持つ人間を見て判断したくなる。

 ミサイル実験が、本当に外交カードとして機能するものなのかどうか、私はその効果を大いに疑う者だが、それはともかく、ミサイル実験をやらかしている当の本人が、あくまでも外交上のブラフのつもりで、それをやっているのであれば、大きな心配は要らない。

 「子供っぽい外交カードだなあ」
 と、なまあたたかく観察していれば良い。

 実際、私は、これまで、金正恩委員長が、ときどき思い出したように誇示してくる「外交カード」をマジメに恐れたことは一度もない。観光地の土産物屋で買ってきた木刀を振り回してみせる中学生を見るみたいな気持ちで、私は、金正恩氏の示威行為を観察してきた。

 ああいう緊張感を欠いた体型と表情を備えた、なんというか、ある意味育ちの良さそうな若者は、わがままで扱いにくいのではあるのだろうが、最終的にわれわれに対してそうそう大したこともできまい、と、そのような順序でものを考えて、私は北朝鮮の脅威を軽視していた次第だ。

 この、あまりに呑気と言えば呑気な見立ての背景には、同じ一族に金正男氏がいたことと無縁ではなかった、と、亡くなった今にして思う。

 北朝鮮を建国した独裁者、金日成(キム・イルソン)氏の孫、という生まれでありながら、日陰の身となり、役職に就かず、そのおっさんくさい、はっきりいえばオタクの雰囲気の、ある意味親しみの持てる容姿を持ち、真偽は分からないが彼のフェイスブックのアカウントには「好きな歌手は五木ひろし」と書いてあったという。