「角を矯めてどうこう言ってるけど、角の方が牛の本体よりはるかにデカいから問題視されてるわけで、実際に天下りを一つ残らず根絶することで、混乱やら弊害が広がるのだとしても、長い目で見て、天下りありきのキャリア設計がわが国の社会にもたらしている非効率と不公正を正すことは、必ずや国民の利益になるはずだね」

「とすると、50歳で退庁する官僚の第二の人生はどうなるんだ?」

「出世ルートから外れたからってケツまくって飛び出さないでも、ラインから外れた場所にぶら下がればいいんじゃないの?」

「なんのためにハローワークがあると思ってるんだ? まさか、ハローワークは民間の失業者のための施設で、お役人は一生涯失業とは無縁だとか思ってないか?」

「でも現実問題として、50代のキャリア官僚がハローワークに行って、ふさわしい仕事が見つかると思うか?」

「お前はなんにもわかってないんだな。ハローワークっていうのは、自分にふさわしい仕事を見つける場所じゃなくて、見つかった仕事にふさわしい人間になるべく自分自身を叩き直す場所だぞ」

 延々と書いたが、私個人は、この件に関して確固たる結論を持つことができずにいる。

 文部科学省の天下りに限って言えば、ただでさえ天下り先を見つけることが難しいと言われている官庁だけに、彼らが再就職先として、大学に職を求めることそのものは、半ば仕方のないことなのかもしれないと思っている。

 大学にしてみれば、文科省の内部に通じた人材を雇用することで、中央とのパイプを作れるわけだし、文科省にしてみれば、退官した高級官僚の再就職先を確保できることになる。とすると一見、この両者のやりとりはウィン・ウィンに見える。

 ただ、ウィン・ウィンというのは、なんだか誰も損する人のいない素晴らしいソリューションみたいな意味で使われることが多い言葉だが、基本的には「閉鎖的なサークルの内側にいるインサイダーだけが得をする仕組み」の周辺に発生する特権的な利益を指すもので、乱暴に言い換えれば「利権」そのものと言っても良い概念だ。

 このケースで言うと、大学当局と文科省がおいしい思いをしている外側では、理念としての「教育」だとか「研究」みたいなものが隅に追いやられている。利益共同体のサークルの外部にいる人間から見て、私学助成金の配分と天下り人材の受け入れがバーターになっているように見える点も問題といえば問題だろう。

 李下に冠を正さずという言葉になぞらえて言うなら、文科省の態度は、ぶどう畑で阿波踊りを踊っているカタチと言って良い。

 文科省出身の官僚が大学で働くことそのものを一律に「悪」とすることはできないだろうが、条件や働き方については、一定の枠組みが必要かもしれない。どういう枠組みを作れば良いのかはわからない。