またしても相撲の話題に触れなければならない。
 大変にめんどうくさい。

 個人的には、大相撲が直面している問題に、たいした公共性があるとは思っていない。
 その点からいえば、この話題は、放置するべきだとも思っている。

 しばらく放置して、半年なり1年が経過した時点で、状況の変化を受けてのコメントを提供しておけばとりあえずはOKという、その程度の話題に過ぎない。

 ただ、年が明けてからこっち、発端となった暴力事件とは別に、貴乃花親方の理事解任&立候補&落選をめぐる報道が奇妙なぐあいに過熱している。

 隠蔽体質の組織 vs 孤高のヒーロー
 老害既得権益者集団 vs 若き改革者

 という、いつ出来上がったのやら知れない不可思議なアングルの対立図式がQシートの行間に書き込まれた形で番組が進行している。

 世間は、醜いこの世の鬼を退治する若き改革の旗手に熱狂しはじめている。
 ことここに至った以上、放置してばかりはいられない。
 発言せざるを得ない。

 もっとも、私が声を上げるのは、対立している二つの陣営の、いずれかの立場を代弁するためにではない。

 私がここに書くつもりでいるのは、一言でいえば、「大相撲をおもちゃにするのはもういい加減にやめようではありませんか」ということに尽きる。それ以上でも以下でもない。

 もうひとつ、私が、たいした公共性を持っているようにも思えない大相撲の話題をあえて取り上げる決意を固めたのは、ここに至る一連の報道の中で、ひとつの仮説として示唆されつつあるスジの悪いストーリーが、あまりにも広い層の人々の心をとらえてしまっている現状に危機を感じたからだ。

 素人というのは、ここまでチョロい人たちなのだろうか。

 マジョリティーというのは、これほどまでに軽薄な存在なのだろうか。
 だが、注意せねばならない。
 この言い方はうっかりすると愚民蔑視に着地してしまう。
 ぜひ、慎重に述べねばならない。

 私は、一般大衆を攻撃したくてこんなことを言っているのではない。
 ただ、商業メディアがビジネスとして愚民を養成しにかかっていることに、この際、注意を促しておくべきだと考えたから、あえて口を開くことにしたのだ。

 彼らは、話を単純化している。

 複雑な背景と錯綜した経緯の上に成立しているサブストーリー満載の一大民族叙事詩を、「悪の組織 vs 正義のヒーロー」式の英雄物語に翻案すれば、たしかに素人受けは良くなるだろうし、構成台本も書き起こしやすくなるだろう。

 しかしながら、メディアが伝えるべきなのは、事実であって物語ではない。
 おそらく、ファクトよりはストーリーの方が売り上げに結びつきやすいのだろうし、ファクトを並べて専門家の解説を仰ぐよりは、一定のアングルからのブックを宣伝しにかかったほうが視聴者の食いつきも良いには違いなかろう。

 でも、そんなことのために、土俵が焼け野原になっては困る。
 焼畑を繰り返す転地農法で収穫をあげている人間たちにとっては、ある分野が灰になったら、また別の火種を求めて違う野原に放火すればそれで良いのかもしれない。

 が、相撲ファンにとっての土俵はひとつしか存在していない。
 いま自分たちが見ている土俵が灰になって、すべての力士が遺骨になってしまったら、われわれは二度と相撲を見ることができなくなってしまう。

 だから、私は、メディアが提供している安ピカの改革ヒーロー外伝に水をかけて、この不当な火災を鎮火させなければならないと決意した次第だ。

 相撲協会がさまざまな問題をかかえていることは事実だ。
 が、それらの問題は、基本的には、相撲にかかわる人々が自分たちの力で解決するべき事柄であって、他人が思いつきで介入することで改善が期待できるようなものではない。

 その意味で、この3カ月ほどの大相撲報道は、あきらかに常軌を逸している。
 内容もさることながら、報道の量がとにかく異様だ。

 報道が相撲をおもちゃにしているという言い方が妥当なのかどうかはともかくとして、ワイドショーをはじめとするメディアが、相撲界内部のトラブルをあれこれいじくり回すことで放送時間の大きな部分をしのいでいるのは事実だし、彼らが自分たちの作り出した相撲改革劇場を数字のとれる論争コンテンツとしてプッシュし続けていることもまた事実だと思う。