というのも、トランプ氏は、部下に

「この人はいつブチ切れるかわからないぞ」
「ボスは怒らせると突発的な行動をとるからなあ」
「とにかく、ボスの虫の居所には常に注意を払っておくに越したことはない」

 と思わせておくことで人々をコントロールするタイプの上司であるわけで、これは、まさにクラッシャー上司のマナーそのものだからだ。

 米国ではかつて「マッカーシズム」と呼ばれる社会運動が猛威をふるったことがある。

 この時代に書かれた書物を読むと、ハリウッドの映画人やジャーナリストたちが、互いに疑心暗鬼を抱き、自分の仕事を自己査定しては不安に陥り、右顧左眄しながら、次第に活力を失っていった様子がよくわかる。

 いわれのない疑いゆえに追放された人々の被害は言うに及ばず、不安に駆られた人々の「自粛」と「忖度」によって、社会がこうむった自由と創造性の萎縮は、その大きさを計算することさえできない。

 反共運動を先導したジョセフ・マッカーシー自身は、大酒飲みの大言家で、個人としては取るに足らない人物だった。その情緒不安定な一介の上院議員が、結果としてあれだけの恐怖の連鎖を引き起こしたことを考えると、突発的な怒りで他人をコントロールする大統領の影響力には、最大限の警戒心を持つべきだろう。

 この10日ほどの間に、私は、世界がすっかり変わってしまったような感慨を抱いている。

 画面に流れてくるニュースをぼんやりと眺めているだけでも、「風雲急を告げる」という感じで、時代が急速に変転して行く勢いに圧倒される気持ちだ。

 普通に考えれば、こういう時こそ、冷静さが大切なのであろう。
 実際、そう言っている人は多い。
 というよりも、多くの有識者は、事実上
 「落ち着け」
 ということしか言っていない。

 言いたいことの主旨はわかる。事態が急転している時にあわてふためいた反応を示すことで状況が好転するようなことはあんまりないはずだからだ。

 とはいえ、

「あわてるな」
「論理的に考えろ」
「感情に流されるな」

 みたいなことを言っている人たちの記事を読んでみると、実のところ、ほとんどまったく意味のある内容が書かれていなかったりする。

 はじめから最後まで

「過剰反応するな」
「複数のレイヤーから総合的に評価するべきだ」
「常に自分の予測に反する事態を想定しておく注意をおこたらないことだ」

 みたいな決まり文句が並べられているばかりで、現実にいま現在起こっているトランプ現象そのものについては、

「理念的に考えるべきではない」
「イデオロギーに偏った見方は差し控えた方が良い」
「事態を慎重に見極めるべきだ」
「短兵急な判断は墓穴を掘ることにつながる」
 ぐらいな教訓を垂れて、それでおしまいにしている。

 私は、こういう時(つまり非常時)に冷静さを訴えてばかりいる書き手を信用しない。

 というのも、理性であるとか冷静さであるとか言った言葉は、われわれが事態を傍観する時の弁解として採用しがちなお題目だからだ。臆病な人間は、いつでも理性という言葉の後ろに隠れて自分の恐怖心を隠蔽しにかかる。そういうものなのだ。

 びっくりした時に感情が動くことは人間として自然な反応だ。
 自分が大切にしている理念や理想が裏切られたり傷つけられていると感じた時、人は憤ったり悲しんだりするものだ。それは少しも不自然なことではない。