怒鳴り散らして恫喝する上司もいれば、冷静な言葉で外堀から埋めるみたいにして部下の一挙手一投足を論破して行くタイプの上司もいて、潰すに至る手法は様々なのだが、共通しているのは、それらの「クラッシャー上司」と名づけられた中間権力者が、「恐怖」によって他人をコントロールする点だ。

 読んでいて興味深かったのは、著者が、部下を鬱病に追いやる共感性を欠いた独善的な上司の人格モデルと、粉飾決算を通じて倒産の危機に至っている東芝の経営陣に蔓延していたと思われるパワハラ体質に、共通するモデルを見出している部分だった。

 たしかに、「反論を許さない上司」の下で働く部下がいずれ潰れることと、「反論できない空気」をその内部にかかえた組織が最終的に狂った集団に変貌して行くことには、不気味な相似がある。

 パワハラが顕在化するのは、上司と部下の一対一関係においてではある。
 が、実のところ、パワハラはひとつの組織の中に「体質」として宿っているものなのかもしれない。

 その意味で、女優のメリル・ストリープさんが、ゴールデングローブ賞の授賞式のスピーチの中で述べた内容は、非常に重要なポイントを指摘している。

 彼女は、

《--略-- このような衝動的に人を侮辱するパフォーマンスを、公の舞台に立つ人間、権力のある人間が演じれば、あらゆる人たちの生活に影響が及び、他の人たちも同じことをしてもいいという、ある種の許可証を与えることになるのです。軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を駆り立てます。権力者が弱い者いじめをするために自分の立場を利用すると、私たちは全員負けてしまいます。--略--》

 と言っている。

 彼女が示唆している通り、権力者のマナーは、彼の権力の及ぶすべての範囲でのデフォルト設定のコミュニケーション作法になる。

 会社でも部課でもそうだが、日常的にパワハラを発動するリーダーが率いる組織では、誰もがサル山のサル的な人間として振る舞うようになる。

 上下関係に敏感で、権力関係に忠実な、軍隊ライクな組織は、ある場面では強みを発揮するのかもしれないが、居心地が良いかどうかについて言えば、明らかに寒々しい場所になる。

 逆に、上司に度量のある部署の部員は、誰もがのびのびとふるまうようになる。
 監督交代を経たプロ野球の球団やサッカーの代表チームが、監督の人となりやチーム編成方針を反映して、驚くほど短期間に生まれ変わるのも、チームの中にいる人間が、基本的にはボスのマナーをコピーすることでチーム内の関係を構築しなおす性質を持っているからだ。

 そういう意味で、リーダーが怒りを隠さないことは、組織全体を恐怖と恫喝で動く集団に変える結果をもたらす。

 もうひとつ考えなければならない問題がある。
 それは、トランプさんの「怒り」が、演技なのか本物なのかどうかについてだ。

 検討してみる。
 まず、トランプさんの怒りが本物だった場合、結果から見て、彼は自身の怒りの感情を適正に制御できなかったということになる。でなくても、怒りにかられて感情的な人事を断行するリーダーは、人間として未熟であると評価せざるを得ない。

 この結論は、大変にまずい。
 世界一の権力者が、中二病のガキ同然のメンタリティーの持ち主なのであるとしたら、クソガキに核のボタン(実際には日替わりの暗証番号なのだそうですが)を委ねているわれわれの世界の安全は、まさに累卵の危うきにある。

 もう一方の可能性は、さらにまずいかもしれない。
 トランプさんの「怒り」がニセモノだった場合、トランプさんは、自分の本当の感情はともかくとして、自分が感情的にふるまうことの効果を知悉した上で、戦略的な判断として怒りを表明してみせたことになる。

 とすると、彼はかなりの程度邪悪なリーダーということになる。